こんにちは。福岡在住ライターの大塚拓馬です。
福岡といえば、ラーメンですよね。
一般的に「博多ラーメン」と呼ばれる福岡のとんこつラーメンですが、「長浜ラーメン」という言葉もあります。また、同じ県内にある久留米市の「久留米ラーメン」も有名です。
ここでひとつ疑問があります。
博多ラーメン、長浜ラーメン、久留米ラーメンって、結局何が違うの?
持論を語るラーメン通は数多くいますし、数々の説があることでしょう……。
僕の認識も「長浜ラーメンはあっさり、久留米ラーメンはこってり、博多ラーメンはその間……的な?」という程度です。生まれも育ちも福岡なのにこの有様。
そこで、この記事では博多・長浜・久留米ラーメンの違いに結論をつけるべく、長きにわたってラーメンと向き合ってきた当事者である「老舗ラーメン店」にお話をうかがってきました。
きっとこの記事を読めば、あなたもそれぞれのラーメンの違いを説明できるようになるはずです。
- 名店の公式サイトに「ラーメン史基礎講座」の文字が!
- 「線引きは不可能」いきなりの先制パンチ
- とんこつラーメンは久留米で生まれた
- お客さんに気づかれないよう味を「進化」させる
- うっかりミスから偶然生まれた白濁スープ
- スープは継ぎ足しでなく「呼び戻し」
- 寸胴じゃなくあえて「羽釜」を使う理由
- 似て非なる!? 博多ラーメンと長浜ラーメン
- 細麺や替玉は長浜のラーメン文化
- 【衝撃】実はカタ麺ほどのびやすい
- 大砲ラーメンは徹底して手づくりにこだわる
- 博多ラーメン原型の系譜を継ぐ「博多 うま馬」
- 屋台「三馬路」から80年以上続く歴史
- 澄んだスープの「源流 博多ラーメン」
- 自家製平麺というオリジナリティ
- 「博多 うま馬」は旨味を引き出すシンプルなラーメンにこだわる
- 【結論】博多・長浜・久留米ラーメンの違いとは
名店の公式サイトに「ラーメン史基礎講座」の文字が!
「こんな難しい問題、誰に聞けばいいんだろう」
「誰に聞いても異論噴出で炎上しそうだ」
いろいろなラーメン店の公式サイトを閲覧しながら頭を悩ませていたときに見たのが、久留米大砲ラーメンの公式サイト。
なんと「ラーメン学」というコンテンツがあるじゃないですか!
そのページは「香月均史のらーめん学」と題され、ラーメンの基礎知識がわかりやすくまとめられていたのです。
久留米・大砲ラーメンといえば、昭和28年創業の久留米ラーメンを代表する名店です。香月均史(かつきひとし)さんは、久留米・大砲ラーメンの二代目の社長でいらっしゃいます。
「この方しかいない」
そう確信した僕はすぐに久留米・大砲ラーメンの本社へ取材依頼したところ、快諾してくださったので、すぐに久留米へと車を走らせました。
こちらが久留米・大砲ラーメンの本社です。
本日はこちらの店舗ではなく……
こちらの本部事務所の門を叩きます。ちょっとドキドキ。お邪魔します!
「線引きは不可能」いきなりの先制パンチ
今回はお話をうかがうのは、久留米・大砲ラーメン代表取締役社長の香月均史さんです。
▲株式会社大砲、香月均史社長
──本日はお忙しいところ、ありがとうございます!
香月社長:博多・長浜・久留米ラーメンの違いという話やったね。まず冒頭に書いとってほしいことがあるっちゃん。
──なんでしょうか?
香月社長:ラーメンフリークの方々はジャンル分けとか定義づけが好きよね。でも、私は久留米ラーメンの定義は何ですかって言われたら「ありません」って答えるよ。
──ええっ。どうしてですか?
香月社長:「これをしたら久留米ラーメンじゃない」とか「これをやれば博多ラーメンじゃない」とか、それは「ない」。たしかに分類をキチッとしたいと言えば、興味のある人は多いやろうね。でも、その完全な分類はできんよ。「このラーメンは〇〇ラーメン」なんて、食べ物にDNA検査はできんもんね。
──まあ、たしかに……。
香月社長:ラーメンと言えば当たり前に塩ラーメンを出す地方、当たり前に醤油ラーメンを出す地方がある。それで全国を回る初期のラーメンフリークたちは勝手にジャンル分けしたんよ。とんこつ・塩・醤油・味噌、これをラーメンの四大文明と名付けてね。
──そこから、ラーメンのジャンル分けの文化が始まったと。
香月社長:ラーメン作る側の立場からしたら、ジャンル分けなんて……。「~だから久留米ラーメンじゃない」なんて、勝手にいろいろ定義づけするな、っち言いたい。これは難しい話やけんね。
──じゃあ、そもそも博多や長浜、久留米ラーメンで分けることなんて、不可能なんですかね……?
香月社長:今あるラーメンを線引きはするのは不可能よ。とんこつラーメンも日々発展して、種の交わりが起きとうけん。種の境界にハイブリッドが生まれることもあるし。何と何のハイブリッドかなんて、それも線引きできんしね。
▲取材開始早々、和やかに企画倒れの空気が漂う
──でも、やはり何かが違うから「博多ラーメン」「長浜ラーメン」「久留米ラーメン」という呼び名が存在するわけですよね……?
香月社長:そう。地域によってルーツの違いはあるよ。ただ今はそれが混ざりあって、どれがどれという線引きができなくなっとる。発祥をひもといていくことはできるけん、今日はそこを話すたい。
ホッ……。それでは、香月社長と一緒に歴史をひもといていきましょう。
とんこつラーメンは久留米で生まれた
まずは久留米ラーメンについて詳しくうかがっていきましょう。
──最初に久留米ラーメンのルーツから教えてください。
香月社長:そもそも、九州のとんこつラーメンは久留米が発祥。(同じ久留米市内にある)「南京千両」さんが昭和12年に1軒の屋台として誕生したったいね。それより古い九州のラーメン屋さんに関する記録はないんよ。
──昭和12年! 今から80年以上も前ですね。
香月社長:そう、当時ラーメンは屋台でしか食べられんやった。専用の調理システムが必要で、いろんなメニューに溢れる当時の食堂の設備では作れんやったとよ。パパッて作れるもんじゃなかったけんね。
──なるほど。「南京千両」さんは僕も食べたことがあります。かなりあっさりしていて、久留米ラーメンのイメージと違って驚きました。
香月社長:久留米ラーメンはもともとはあっさりしとったと。あっさりした半濁のスープやった。白濁は若干してるけど少し澄んでいる、コクはあまりないけどキレがあるラーメンやったね。
──久留米ラーメンは「濃厚」「こってり」というイメージだったので、意外です。
香月社長:時が経つにつれて、どんどんこってりしていったとよ。今の久留米ラーメンはキレよりもコクの方が強くなっとる。うちもそうやけどね。ただ、今の久留米の代表的な何店かだけ食べて「久留米ラーメンはこってり」と決め付けてほしくないね。
お客さんに気づかれないよう味を「進化」させる
──なぜ久留米ラーメンは「こってり」になっていったのでしょうか。
香月社長:久留米のいくつかのラーメン店がお客さんの味覚を敏感に察知して、見極めて進化させた結果やろうね。とんこつベースのラーメン好きはこってり好きが多いけん。今は親父がラーメン屋台を開いた時の2倍のとんこつ使用量やもんね。ヘタしたら3倍くらいあるかも。
▲現在の久留米・大砲ラーメン(昔ラーメン並、税込700円)
──でもラーメンの味を変えてしまうことで、離れてしまうお客さんもいるんじゃないですか?
香月社長:お客さんに気づかれんように、少しずつ進化させとるとよ。そうせんと、ずっと同じレシピで作りよったら「味が落ちたね」って言われる。お客さんは時代を経ると、次第に濃い味を求めていくようになった。味を微妙に変え続けて、ようやく「昔と変わらず、うまいね」と言われるっちゃん。
──長く生き続けるには「味を守る」だけじゃダメなんですね。
香月社長:そうやないと、伝統は守られん。進化なき伝統は滅びる。「30年ぶりに来たけど、ぜんぜん変わらんね」って言ってもらえるけど、実際は30年前のとんこつラーメンなんて今のとんこつ使用量の半分くらいやけんね。
──そこまで変化させないと「同じ味だね」と言ってもらえないとは、驚きました。
香月社長:お客さんも他でいろいろなおいしいものを食べて、舌が贅沢になった状態でまたお店に来るけんね。その状態でお店に来ると同じものでも「あれ、こんなに薄かった?」となる。
──ただ一方では「南京千両」さんのように、ほとんど味を変えずに残っているお店もあります。
香月社長:あえて進化させずに、今でも同じ味を出し続けて残っているお店は、そういう「文化」として成立しとるんよね。普通は進化させんとお店がなくなる。「南京千両」は文化財のような貴重な存在やね。
うっかりミスから偶然生まれた白濁スープ
──久留米ラーメンのスープを白濁させたのは、どのお店が最初なんでしょう。
香月社長:昭和12年当時は日本を含め世界中のスープの基本は澄まし仕立てやった。それをうっかり濁らせてしまったのが、久留米屋台の「三九」(現在は休業中)さん。
──「うっかり」濁らせた? 失敗からできたってことでしょうか。
香月社長:そう。基本的にスープというのは、炊き上がり次第、すぐに弱火にせんといかんったいね。弱火にしてコトコト煮込みながら、澄んだ状態で旨味を出すというのが世界共通のスープのとり方。
──なるほど。火加減を途中で変えるのが重要なんですね。
香月社長:そう。でも「三九」さんの場合は、買い物に出かけている間に火を弱くするのを忘れて、煮詰まって真っ白になっとったらしい。本来なら廃棄処分するところを、ちょっと味付けして食べたらおいしかった。これが久留米系の白濁スープのルーツやね。
スープは継ぎ足しでなく「呼び戻し」
──久留米ラーメンといえば、熟成したスープに新しいスープを継ぎ足して作る「呼び戻しスープ」を謳っている店舗が多いように思います。
香月社長:呼び戻しスープの元祖は大砲ラーメン。その技術を完成させたのは親父(創業者の故香月昇氏)で「呼び戻し」という名前をつけたのは私。
──「継ぎ足し」という名称よりも、旨味が増しているイメージでいいネーミングだと思います。今ではかなり浸透しました。
香月社長:「呼び戻し」という言葉が一般的になるまでに10年以上かかった。それで10年ほど前、名古屋に行ったら「元祖久留米・呼び戻し」と書かれたラーメン店があって「どえりゃーこつばい」って笑ったよ。それくらい浸透したね。
──呼び戻しという技法で、スープはどう変わるのでしょうか。
香月社長:熟成された旨味が、じっくり増していく。ただ継ぎ足せばいいというわけではなくて、すごく難しいっちゃん。職人は3つの大きな釜の前に終日立って、バーナーの火力やスープの水位と濃度を的確に捉えながら古いスープと新しいスープを少しずつ調合していかないかん。ものすごく繊細で熟練の技が必要な作業。それをウチでは全店でやっとるよ。
寸胴じゃなくあえて「羽釜」を使う理由
──ほかにスープの製法に関することで、久留米ラーメン独特の文化はありますか?
香月社長:久留米で老舗といわれるラーメン店は、スープを炊くのに寸胴じゃなくて羽釜(はがま)を使うお店が多いね。種の交わりがあるので言い切ってはイカンばってん。
▲久留米の老舗ラーメン店では写真のような寸胴を使わないお店が多い
──羽釜を使うと、どんなメリットがあるのでしょう。
香月社長:熱効率が良いけん、白濁させやすい。同じ100リットルの水を寸胴と羽釜で同じ火力で沸かすと、羽釜なら半分の時間で沸きあがる。
──羽釜と寸胴は、どうしてそんなに熱効率に差があるんですか?
香月社長:コンロの上に寸胴を置くと、火が外に飛び出て半分の熱が外に逃げて行ってしまうけんね。羽釜の場合は昔のおくどさん(昔ながらのかまど)のように、土台が全部釜を囲っとるけん、熱が逃げんとよ。
▲羽釜とおくど(写真は大砲ラーメンではありません)
──白濁させるとんこつスープは強い火力で炊く必要がありますもんね。
香月社長:そう。もともと調理器具の寸胴鍋というのは、弱火でコトコトと澄んだスープを作る前提の調理器具。白濁させるとんこつスープのための調理器具としてはできていないから、強い火力で炊くには間違いなく羽釜の方が向いとる。
──羽釜は鍋の形も全然違いますよね。
香月社長:寸胴は底と側面が直角で角ばっとうけど、羽釜は底も丸いけん。中のスープがきちんと対流して、味に深みが増すったい。
似て非なる!? 博多ラーメンと長浜ラーメン
▲ラーメン店が立ち並ぶ長浜地区は福岡の中でも屈指の密集地帯
ここからは福岡県民でもわかりにくい「博多ラーメン」と「長浜ラーメン」の違いを探っていきましょう。
──博多ラーメンにはどのようなルーツがあるのでしょうか。
香月社長:博多は澄んだスープと白濁したスープの2種類のルーツがあるったい。「三馬路(さんまろ)」さんっていう澄んだスープのお店が最初(現在は閉店)。もうひとつは博多ラーメンで白濁したスープの元祖「赤のれん」さんやね。その2つがあって、白濁したスープの方が主流になっていった。
──博多ラーメンも澄んだスープのお店があったんですね。
香月社長:そうそう。今も三馬路のラーメンを味わえるお店はあるっちゃないかなあ。たしか「博多 うま馬」という名前でやっとるはずよ。
──博多ラーメンと長浜ラーメンのルーツはどう違うんでしょうか?
香月社長:長浜ラーメンは、博多ラーメンができた後やね。魚市場が長浜に移転して、その市場の前に「元祖長浜屋」さんをはじめとする、ラーメン屋台が何軒かできたったい。
──長浜の屋台ではどんなラーメンが出ていたんですか?
香月社長:当時流行っとった博多の白濁したとんこつラーメンやね。お客さんは市場で働く忙しい人ばかりやけん、サッと食べて、サッと職場に戻らないかん。短時間で茹であがる麺にするには細くするしかないったいね。それで細麺が生まれた。
細麺や替玉は長浜のラーメン文化
──細麺は長浜ラーメンの文化なんですね。
香月社長:久留米からすると博多ラーメンも細いけどね。極端に細いのは長浜ラーメン。一般的に中華麺は1分以上茹でると思うけど、15秒とか20秒で茹で上げよっちゃないかな?
──他に長浜ラーメンの文化というと、どんなものがありますか?
香月社長:替玉もそうたい。忙しいお客さんの「もうちょっと食べたいけど、麺だけくれんの?」という要望に応えた。10秒台で茹であがるけん、ササッて出せるやん。
──替玉が長浜発祥というのは聞いたことがあります。
香月社長:久留米はそもそも替玉文化はなかったとよ。30年ほど前に久留米で替玉をした第1号はウチ、大砲ラーメン。周りの一部のラーメン店からはワーワー言われたよ。「替玉やら、久留米ラーメンじゃなか!」とかね。
──そう言われて、どう思いました?
香月社長:「なにそれ、誰が決めたと?」って話たい。そんな線引きはおかしいやろ。「変わらんやったら進化せんばい」って。「伝統を守りながら、より現代風に進化させていくのが俺たち二代目、三代目の役目やないんか」って思った。
──結局、今では久留米でも替玉は一般的ですよね。
香月社長:久留米の学生はほとんど替玉するよ。ピシャーッと根付いたね。ワーワー言われたけど、そのワーワー言いよった人たちも今では替玉出しとるけんね(笑)。
【衝撃】実はカタ麺ほどのびやすい
──長浜ラーメンは、お客さんが市場の仕事で忙しいから「早く茹であがる」ということがとても重要だったんですね。
香月社長:博多ラーメンと長浜ラーメンって、いつのまにかジャンル分けみたいになってしまっとるけど、単純に博多ラーメンの麺を細くして、市場で働く人のために素早く提供できるようにしたのが長浜ラーメンちゅうところかな。
──カタ麺が愛される文化も、早く茹であがるというのが理由の根底にありそうですね。麺が細くて、すぐにのびてしまうのを防ぐという意味合いもありますか?
香月社長:「カタ麺ほどのびにくい」っていうの、あれは逆ばい。逆!
──え、そうなんですか!?
香月社長:カタ麺ということは、麺がスープをもっと吸いたい、もっと吸いたいという状態やけん。茹で時間が短いカタ麺ほどは水分(スープ)を求めて、すぐのびる。昔、初代はラーメンの出前をしていたけど、絶対やわ麺でやっとった。カタ麺で配達すると、届けたときには麺に吸われてスープがなくなってしまうからね。
──衝撃。これは勘違いしている人、めちゃめちゃいますよ……。
香月社長:そもそも、ラーメンの麺はうどんなんかの麺に比べて水分が少ない(低加水)けん、基本的にスープを吸おうという性質が強い。麺が細い分、一玉あたりの表面積が大きいのも、のびやすい要因やね。
──カタ麺にしておけば、ちょっとのびてもちょうどいい塩梅かと思っていました。
香月社長:茹でてやわらかく調理するのと、のびてブヨブヨに劣化するのとでは全く別の現象やけん。それだけは書いとって。皆さんカタ麺ほどのびないと思い込んどる。情けなくも一部のラーメン店だってそう思っとる。それは逆ばい。
──ちなみに香月社長おすすめの麺の硬さってありますか?
香月社長:やや硬めやね。硬すぎるとモチモチ感がなくなるしね。だから少しだけ硬めにした方が、麺本来のモチモチ感もあって、歯応えもある。
──ハリガネとか、コナオトシはどうでしょうか。
香月社長:うーん、まずその呼び名が好かん。作り手としては麺の味は美味しく茹でてナンボという想いがあるけんね。本来、職人たちは麺がいちばんいい状態で上げるわけよ。でも、今は猫も杓子も「カタメン、バリカタ、コナオトシ」などと「カタ麺合戦」というか「ナマ麺合戦」。それじゃ、お客さんも麺本来の旨さが分からんごとなるし、作り手の麺上げの意識も技も向上せん。
大砲ラーメンは徹底して手づくりにこだわる
──最後にこちらの大砲ラーメンさんのこともお聞かせください。ラーメンを提供する上でいちばんこだわっていることはなんですか?
香月社長:12店舗すべてが手づくりで、セントラルキッチン方式を導入していないことやね。全店舗で生のとんこつからスープを出しよる。
──てっきり工場でスープをつくっているのかと思いました。
香月社長:ぞーたんのごつ!(※)工場のスープじゃ呼び戻しスープはできん。ずーっと調合せんといかん。呼び戻し製法やけん、創業当時からスープの釜は空になってないし、新たにお店を作るときは本店のスープをバケツ一杯ほど持って行って、そこから呼び戻しを仕掛けるったい。
※ぞーたんのごつ!:「冗談じゃない!」「まさか!」の意
──難しい呼び戻し製法を12店舗それぞれでやるのは大変ですよね。
香月社長:各店舗には正社員が最低4〜6人くらいは必要やけん。正社員という名の職人が。人件費がかかりまくるので、利益率はめちゃめちゃ低いけどね。それでも、うちは全店舗手づくり。これが大砲ラーメンの存在意義と思っとる。
▲久留米から離れた天神今泉店でも本店と同じ呼び戻し製法が行われる
──どうしてそこまでして、手づくりにこだわるんですか?
香月社長:自分が2代目を継ぐときに思ったっちゃん。「親父が残した手づくりのラーメンを守りながら、お店は近代的にして、会社の経営は時代に合うものにしよう」って。「『職人の味と技』『近代的なシステム』これが融合すれば、どんなラーメン店にも負けん」という自信があった。大砲は必要な進化をしながらも、「大砲」の暖簾を掲げるお店である限り、手づくりという姿勢だけは未来永劫変えることはない。そういう思いです。
──大砲ラーメンとは、そういった信念を貫いたブランドなんですね。
香月社長:もし私がこの世からおらんごとなっても「大砲ラーメンの暖簾を出す以上は、絶対に全店舗手づくりの姿勢を崩すな」と伝えとうけん。それを崩すのなら、全く別のブランドを立ち上げてからにしろと。大砲ラーメンの暖簾だけは汚さない。それが親父の屋台の時代から続く、大砲ラーメンの「文化」やから。その姿勢だけは絶対に崩したらいかん。
──呼び戻しで受け継ぐスープと同じように、きっと文化も継承されていくと思います。
香月社長:今もうちの親父がつくったスープの分子が少しは残っとうはずやけんね。スープの釜は絶対空にせんけん。初代のスープの分子は果てしなく薄まっているだろうけど、ゼロにはならんけんね。ずっと受け継いでいってほしいね。
──貴重なお話をありがとうございました!
お店情報
久留米・大砲ラーメン 本店
住所:福岡県久留米市通外町11-8
電話番号:0942-33-6695
営業時間:11:00~21:00
定休日:木曜日、元日
博多ラーメン原型の系譜を継ぐ「博多 うま馬」
久留米・大砲ラーメンの香月社長に教わったおかげで、博多・長浜・久留米ラーメンの違いがつかめることができました。
ただ香月社長の話に登場した「博多ラーメンのルーツである、澄んだとんこつラーメンがまだ残っている」という話が気になって仕方がない……。
そこで、香月社長に教わった「博多 うま馬」に取材依頼をしてみると、こちらも快諾!
博多ラーメンのルーツについて、手嶋雅彦社長にもう少し詳しくお尋ねすることにしました。
屋台「三馬路」から80年以上続く歴史
▲「三馬路」の屋台がかつて営業していた博多川付近。写真は現在の様子
──こちらは博多ラーメンのルーツといわれる「三馬路」の系譜を継ぐお店ですよね。
手嶋社長:そうです。昭和13~15年頃に森さんという方が、中洲の博多川沿いに「三馬路」という屋台を始めたのが、博多ラーメンのルーツです。この方は戦前上海にいらっしゃっていて、それで福岡に戻ってきたときに「中国で食べた麺を福岡で再現しよう」というふうに考えられたそうです。
──どんな屋台だったのでしょうか。
手嶋社長:今のような屋台ではありません。長椅子があって、お客さんはできたラーメンを長椅子に座って、丼を手でもって食べる。テーブルがないんですよ。本当に屋台になる前の初期形態というか。雨が降ってきたら「そら逃げろ」って感じだったそうですよ。
──最初はとても簡素だったんですね。
手嶋社長:そんな「三馬路」を森山という私の叔父が「五馬路(うまろ)」という名前で継ぐんですね。「三馬路」のラーメンを食べて「こんなおいしい食べ物があるのか」と感激し、私の父も誘って弟子入りを志願して、修業したそうです。
──「三馬路」と「五馬路」の店舗は、残っているのでしょうか。
手嶋社長:今はもうどちらのお店も存在しません。私が父のもとで修行し、「博多 うま馬」の名前で独立したことで、味を受け継いでいます。
澄んだスープの「源流 博多ラーメン」
「博多 うま馬」のラーメンを実際に頼んでつくっていただきました。
▲これが源流 博多ラーメン(税込650円)
──確かにスープが白濁していませんね。鶏ガラスープのラーメンのように見えます。どのような経緯でこのスープが誕生したのでしょうか。
手嶋社長:「三馬路」の森さんが初めてラーメンをつくろうとした時は、鶏ガラが中心だったんですよ。ただ、戦前の食に厳しい時代で「鶏ガラ」が潤沢に手に入らなかったんですね。
──でも、豚(の骨、とんこつ)ならあったと。
手嶋社長:そうです。鶏ガラのかわりにとんこつでやってみたのが、とんこつラーメンをつくり始めたルーツだと聞いています。とはいえ、とんこつを扱っている肉屋さんも少なかったので、ハム工場に骨をもらいに行っていたそうです。
──とんこつはどのように炊いていたんですか?
手嶋社長:当時はガスもない時代なので、練炭で炭に火を起こして、その上にスープの鍋を乗せて炊いていたんです。だから、当然火力が弱く白濁もしません。この状況でどうやっておいしいスープを作るかと考えて、完成させたんですね。
▲スープは濁っているものの白濁はしていない
──このスープの製法でいちばん大切なポイントは何ですか?
手嶋社長:骨の血抜き、灰汁抜きをしっかりやって、骨から出る旨味を最優先することですね。我々は寸胴に骨を入れて、水から下炊きをする、そうすると灰汁がワーッと出てきます。それを一度全部茹で捨てて、骨をもう一回流水で洗って、それで初めてスープ缶(スープを入れる鍋)に入れます。
──かなり丁寧に下処理をされるんですね。
手嶋社長:強く炊かない方がとんこつのニオイは残るので、臭みを消すためにさまざまな工夫をしています。骨から出てくる純粋な味を大事にしたいと思っているんです。
──ちなみにこういうクリアに近いとんこつスープを出すお店って、こちらの他にはあるんでしょうか。
手嶋社長:今は逆に白濁していないとんこつスープを出すお店もあるんじゃないですか。新しいものとして登場していると思います。ちなみに、ウチのスープは乳化をする一歩手前くらいなので、完全にクリアではありません。白濁まではしていないけれど、少し濁っている程度です。
自家製平麺というオリジナリティ
▲うま馬の麺はかなり平べったい平麺
──この麺はかなり独特ですよね。ここまで平べったい麺のラーメンは福岡ではなかなかないと思います。
手嶋社長:たしかに、ここまではっきり平べったいのはないでしょうね。もちろん当時は手打ちだったから平べったい麺になったのでしょうけど。まあ聞くところによると、中国では刀削麺という感じの平べったい麺が多かったみたいですから。
▲平らな麺といえば、まず思い浮かぶのが中国の刀削麺
──とんこつラーメンであると同時に、モチモチ感が強い麺が新鮮です。
手嶋社長:自家製麺で加水率をちょっと上げて、のどごしを良くしようと思って麺をつくっています。まあ、昔からこの麺なんですよ。長浜系の細い麺はずいぶん後になって出てきたという話ですね。だんだんいろんな麺が出てきましたけど、そもそもの博多ラーメンの麺はこれだったんです。
──創業当時、他のラーメン店でも似たようなラーメンが提供されていたのでしょうか?
手嶋社長:当時は他にあったラーメン屋さんもこれに近いラーメンだったみたいですよ。ただ、父が「もうほとんどなくなった」と言ってましたね。残っているのは「赤のれん」さんと「博龍軒」さんくらいだと聞きました。
──その後、長浜ラーメンが全盛になって、博多ラーメンのイメージがどんどん長浜ラーメンのイメージになっていくというわけですね。
手嶋社長:そうですね。「三馬路」が今もあれば、もう少し博多ラーメンの文化も残ったんでしょうけどね。今は最初の原型としての博多ラーメンを伝えるお店はここしかないので。博多で最初のラーメンをこれからもずっと伝えていくのが使命だと思っています。うちのスタッフ、みんなそういう想いでやっていますよ。
「博多 うま馬」は旨味を引き出すシンプルなラーメンにこだわる
──最後に「博多 うま馬」についてお聞かせください。「博多 うま馬」はラーメン以外のメニューも豊富ですよね。
手嶋社長:はい、ウチは業態としてはラーメン居酒屋店なんですよ。ラーメンだけじゃなくて、串焼きがあったり、もつ鍋とかもあったり。締めにラーメンを食べるという方が多くて。
──源流 博多ラーメンはさっぱりしていて、飲んだ後に合いそうです。お客さんは昼と夜のどちらが多いですか?
手嶋社長:お客さんは昼よりも圧倒的に夜が多いですね。売上のアルコール比率が3割超えてますからね。ラーメン店は普通9割はラーメンの売り上げで占めるんじゃないですか。うちが屋台から始まったお店なので、その流れですね。
──なるほど。「博多 うま馬」で一番こだわっていることは何か、教えてください。
手嶋社長:「オーソドックスにシンプルに作る」ということですね。とくにこだわっているのは骨の血抜き、灰汁抜きをしっかりやって、骨から出る旨味を最優先することです。
──このシンプルなスープがモチモチした平麺によく合いますもんね。
手嶋社長:うちのラーメンは麺ありきだと思っていて、平麺に合うスープという発想でスープを作っているんです。例えば、このスープに長浜の細い麺を入れても全然合いませんよ。
──雨が降ったら逃げ帰るような屋台から、80年も続いていく歴史に感動しました。これからも誕生当初の博多ラーメンのおいしさを伝え続けてください。
手嶋社長:伝統は守りつつ、ラーメンの味については日々研究しています。続けるためには、少しずつ変えるというのはやはり大切でしょうね。今の人たちに飽きられないようにしながら、守っていきたいですね。
──貴重なお話をありがとうございました!
お店情報
博多 うま馬 祇園店
住所:福岡県福岡市博多区祇園町1-26
電話番号:092-271-4025
営業時間:月曜・水~金曜11:30~14:00、17:30~24:00(L.O.23:30)、土曜11:30~15:00 17:30~24:00(L.O.23:30)、日曜祝日11:30~15:00 17:30~23:30(L.O.23:00)
定休日:火曜、元日
【結論】博多・長浜・久留米ラーメンの違いとは
博多・長浜・久留米ラーメンの違いについて、調査してまいりました。
これらのラーメンの違いは明確に定義があるわけではありません。しかし、それぞれのルーツや歴史には、明確に違いがありました。
まとめると以下の通りです。
【博多ラーメン】
- 博多川沿いにあった屋台「三馬路」が発祥
- もともとは白濁させないスープ
- 平べったい麺を使用
【長浜ラーメン】
- 長浜にある魚市場の前にできた屋台「元祖長浜屋」が発祥
- 細麺・替玉文化の発祥
- 一般的な「博多ラーメン」のイメージのルーツとなっている
【久留米ラーメン】
- 久留米市内、明治通りにあった屋台「南京千両」が発祥
- もとはあっさり味だが、近年はこってりが増えている
- スープは羽釜を使った「呼び戻し製法」で作られる
ルーツや歴史に違いはありますが、すでにこれらのラーメン文化は混ざりあっています。
これもすべて、とんこつラーメンが生まれて80年以上、数えきれないほど多くのラーメン店が生まれ、そのラーメン店主がお客さんと真剣に向き合い、時代を読んで味を変化させてきたからです。
福岡県民としてラーメンをこよなく愛してきましたが、知らないことだらけでした。
ぜひとんこつラーメンの歴史に想いを馳せながら、老舗店を巡ってみてくださいね。
【参考文献】
原達郎『九州ラーメン物語』(九州ラーメン研究会)