ADHD当事者の僕が「発達障害バー」というお店を作った理由

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スタッフほぼ全員が発達障害の当事者のバー

ここ数年で広く知られるようになった「発達障害」。

挙げられる特徴は多岐にわたるものの、コミュニケーションがうまくはかれなかったり、タスク管理が苦手だったりと、対人関係や仕事の場面で苦労する人も多いといいます。

「もしかしたら、自分もそうかも」と感じている人も少なくないようですね。

 

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そんな悩みを抱えた人たちのコミュニティーとなっているのが、渋谷にある「発達障害BAR The BRATs」。

木曜日~土曜日の週3回のみオープンするカフェバーで、スタッフもほぼ全員が発達障害の当事者です。

このお店のオーナーの光武克さんは、3年ほど前にADHD(注意欠如・多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群)との診断を受けたとのこと。

 

これまで数多の困難に直面してきたそうですが、今は発達障害とうまく付き合いながら日々を過ごしていると言います。そこで、お店の様子から、特性の受け止め方や発達障害と向き合うコツまで、いろいろとお話を聞いてみました。

 

仕事やプライベートがボロボロのとき、発達障害と診断された

──発達障害に特化したお店を開こうと思ったのはどうしてですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:同じような悩みを抱える人たちが気楽に集える場をつくりたいと思ったからです。僕が発達障害の診断を受けたのは、仕事もプライベートもボロボロのときでした。
ほかの当事者が問題にどうアプローチしているかを知りたくて、自助グループのようなコミュニティーに参加してみたのですが、状況報告みたいな話がメインで、解決の足掛かりを得られる感じではなかったんですよね。
僕のようにケーススタディを求めている当事者はかなりいるはずなのに、そういう場が意外と少ないことがわかって、それなら僕がつくろうかなって。

 

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──ではなぜ、ただのコミュニティーではなくバーというスタイルに?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:シリアスに悩みを打ち明け合うような雰囲気ではなく、仕事帰りにふらっと立ち寄って、その日の出来事やちょっとした悩みも吐露できるようなフランクな場にしたかったんです。
そこにお酒があれば会話も雰囲気もフランクになるだろうし、僕が仕事や家庭の問題を友達に相談するとしてもお酒を飲みながらだよなって思ったので、「お酒を飲む」というのも大切なポイントだと感じました。

 

──お酒が入ることで話しやすくなることもありますもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:とはいえ、自助グループのような場でお酒が出ると違和感があるじゃないですか。それで、お酒が出ることが前提のコミュニティーなら自然に飲めるかなとか、総合的に考えたらバーが一番ふさわしいと思ったんです。

 

──未経験でいきなりバーの経営とは、思い切りましたね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:離婚して「好きなことをしてみよう」という気持ちになったタイミングだったので(笑)。ただ、バーというのはカタチで、あくまでもコミュニティーづくりを軸にしたいと考えているので、自分ができる範囲でやっています。
だから看板メニューもないのですが、3,500円の定額制(ノンアルコールは2,500円/ともに税込)で飲み放題、食べものは軽食程度であれば持ち込みOKと、かなり自由です。

 

生活が破綻する一歩手前の時期もあった

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──実際にお店をオープンして感じたことはありますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:お客様は発達障害の当事者からそうではない方までさまざまですが、悩まれている人はすごく多いということです。
ただ、僕は仕事にしても元妻との関係にしても、けっこういろいろやらかしていて。ストレスから性依存症的な行動をしてしまったりして、治療を受けたりすることもありました。まさに生活が破綻する一歩手前の時期があったんですが、今はこうして働いている。そんな僕の姿を見て「それでもなんとか生きられるんだ」「自分はまだましなのかも」と思ってもらえることも多い。それは良かったと思います。

 

──光武さんご自身に変化などはありましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:まわりから「明るくなった」と言われるようになりました。なんでだろう? と考えたとき、お客様との会話がプラスになっていたんだと気づきました。話をしながら「自分も本当は傷ついていたんだな」とかって自己分析できたことが、自己治療につながっていたんです。だから最近は、お客様に対しても「会話を楽しみながら自己治療してもらえるようなきっかけづくり」を意識して接客しています。

 

「世の中バカばっかり」と本気で思っていた

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──そもそも、自分が発達障害とわかったきっかけは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:元妻に心療内科での受診をすすめられたことです。それまで発達障害という言葉を聞いたことはあっても、自分とは関係ない世界の言葉だと思っていたし、自分にその傾向があるという自覚すらありませんでした。でも、いざ病院に行ってみると、事前に出されたチェックリストにすべて当てはまるという(笑)。あれ? って感じでしたね。

 

──元奥様からしたら、いろいろと思い当たる節がおありだったんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:そのようですね。例えば、僕は時間に対する意識がすごく強くて、ムダだと感じる時間を過ごすとイライラしてしまいます。ボーッと過ごすことができないんですよ。布団に入って眠りに就くまでの時間も苦手なので、携帯で調べものなどをしながらいつの間にか寝つく感じじゃないと、眠れないんです。

 

──それは毎日ですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:はい、毎日です。だから電気はつけっぱなしなのですが、一緒に暮らす方は苦痛ですよね。でも、僕はそれが妻の負担になっていると気づくことができない。そんな小さなすれ違いがいくつも積み重なっていたようです。

 

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──その当時、仕事での様子はどうだったのでしょうか。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:当時はフリーで塾講師の仕事をしていたのですが、遅刻をしたり、スケジュール管理が著しくできなかったりで、いくつもの会社に契約を切られていましたね。

 

──それは大変!

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:そのうえ、「使う時間に意味を見出せるか」「自分が納得しているか」を基準に働くことが世の中の当たり前で、賃金をもらうことより大切だと思っていたんです。だから、そうではない考え方の人に対して攻撃的な態度をとってしまって、対立することも多かったんです。利益を優先して商業主義的なスタンスで働く先輩に「なんで先輩はそんなバカなのに、勉強しないんですか?」って本気で尋ねて、怒られたこともありました。

 

──かなりアウトローな感じですね(笑)。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:当時は「世の中バカばっかりだ」って本気で思っていましたからね(笑)。だから、先輩がなんで怒るのかも理解できなかったんですよ。でもその反面、仕事が減って先の見通しは不安になるし、自信もどんどん失って。それにより発達障害の特性が強く出てしまい、妻との関係も悪化していくという悪循環でした。

 

──当時はどのような状況だったのでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:ADHDの症状である「衝動性」が強く出てしまうと、じっとしていることが出来ず、眠れないため、夜中も妻の横で仕事をしてしまったり……。それと自分のなかにある優先順位をうまく他人に合わせることができなくて、夫婦で家事を分担するといったことも苦手で、例えば部屋の片付けといったことも妻だけへの負担となってしまったりしていました。

 

──最初におっしゃった「仕事もプライベートもボロボロ」の時期ですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:ええ。それでも自分が発達障害だなんてかけらも思っていなかったのですが、病院ですべて当てはまってしまったチェックリストを見て、ようやく少し自覚が芽生えてきた感じです。

 

発想を変えたら、ミスもストレスも格段に減った

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──心療内科ではどのような検査をされたんですか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:まずはチェックリストやカウンセリングで僕の傾向を割り出し、衝動性を抑える薬を試してみることになりました。それを服用してみたら劇的に変わったので、医師から「ADHDという診断が妥当」と言われました。その後「WAIS-Ⅲ(※16歳以上の成人用に標準化された、ウェクスラー式の知能(IQ)を測るための一般的な検査)」を受けて、特性を調べていったという感じです。

 

──発達障害とわかったときのお気持ちは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:自分に「障害」という名前がついたことはショックでした。WAIS-Ⅲのグラフのデコボコした結果を見て、人とどこが違っているかは自覚できるようになったのですが、すると今度は、そうした特性を理解せずに自分を排除しようとした環境や、発達障害とわかっても対応を変えようとしない妻の態度にイライラしたり。

 

──どのくらいそのような状況が続いたのでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:2ヵ月間くらいですね。ただ、次第に「自分に偏りがあるのは、仕方がないことだ」と受け止められるようになり、現状を受け入れてどう生きるかを考えるようになりました。

 

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──受け入れられるようになったきっかけなどはありましたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:その時期を前後するようにして離婚が確定路線になったこともありますが、「悩んでいる時間がムダだ」と思えたことが大きかったと思います。あるとき、どうすることもできないまま心理的な重さだけを抱え続けている自分に対して、「この重苦しい感じを、俺は好きで受け入れているのか?」「俺はドMなのか?」ってふと思ったんです。

 

──ご自身と向き合われたんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:はい。それで、どう考えても重苦しさがないほうが理想的だと思ったので、悩む時間を限りなくゼロにするにはどうすればいいか、そのためには何をするべきかというロジックで考えてみたら、自分の特性を受け入れて、苦手はカバーすればいいって思えるようになったんです。

 

──カバーというのは、具体的にはどのように?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:時間の管理は相変わらず苦手なので、仕事上のメールのやりとりなどは、アルバイトを雇ってすべてお願いすることにしました。ある意味、僕が自分を一番信用していない部分は、ほかの人にやってもらうんです(笑)。

 

──効率的だと思います。効果はいかがでしたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:支出にはなるけれど、そのぶん仕事を頑張ってアルバイト代を稼げばいいという発想に切り替えたことで、仕事上のミスもストレスも格段に減りましたよ! あと、さっき言った先輩みたいな商業主義的な人も、ひとつのタイプとして捉えられるようになったので、極力接点を持たないという形でストレスを回避するようになりました。

 

自分の得手・不得手を可視化してみる

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──昨今は「自分もそうかも」と悩んでいる人が少なくないようです。当事者としてどう感じますか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:「発達障害」って、今の時代のキーワードであると同時にものすごいパワーワードでもあるので、変な奴らだと思われるのは仕方がないと思います。実際、どこかがズレてるわけだし。ただ、強みに特化すれば別の評価や名前のつけ方ができるはずなので、他人と違うというだけで自尊心を下げてしまうのは因果性が成り立たないと思うんですよね。

 

──活躍しているかたも大勢いらっしゃいますもんね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:自分は変わっていると感じるなら、その特性を世の中とうまく合わせていける方法を考えればいいだけの話なので、よくない方向にばかりとらわれたり、アイデンティティーを損なったりするような悩み方はしないでほしいと思います。

 

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──光武さんのように前向きに捉えられるようになるには、どうしたらいいでしょうか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:僕の場合は、WAIS-Ⅲの結果から得意分野と不得意分野がはっきりしたことで、客観的に受け止めることができるようになりました。診断名がついたのも、はじめはショックでしたけど、それによって対策を取れるようになったので、今はよかったと思っています。

 

──診断結果から見た光武さんの「得意分野」は何でしたか?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:得意分野は「言語化能力」です。分析能力、といってもいいかもしれませんが、ものごとを的確に言葉にして相手に伝えることができます。

 

──それが今の仕事にいかされていると感じるところは?

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:講師の仕事や執筆作業などにいかされていると思います。言語にまつわることが得意なぶん、そういう仕事は非常にやりやすいです。

 

──「自分を知ること」が大切なんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:よく、診断名がつくことで落ち込んだり、逆に喜んだりする人もいますけど、それはどちらも違うと僕は思います。大切なのは診断名がついたかどうかではなく、自分の得手不得手が可視化されて、選択肢が広がること。診断名や検査なんて、「ADHDで衝動性が高めだから、どうしていこうか」という選択をするきっかけに過ぎません。

 

──診断は通過点なんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:診断されたから何をしても許されるというわけではないですからね。逆もしかりで、できないことに著しく落ち込む必要もないと思います。視力が悪ければメガネをかけるし、耳が聞こえづらければ補聴器をつけますよね。
それと同じで、能力的に難しいことがあったら、なんらかのテクノロジーを使ってみるとか、ほかの人に頼るとか、薬を飲むとか、無理のない選択をしながらカバーしていけばいい。みんながやっている「生きるための工夫」に、特性を考慮した視点が必要というだけのことだと思います。

 

──発達障害か否かと悩むより、生きやすくする工夫が大切なんですね。

 

f:id:Meshi2_IB:20190122104117p:plain光武:社会のルールは常に変わっていくものです。今はそこから外れるタイプが「発達障害」とカテゴライズされているけれど、絶対的なものじゃないし、いずれそんなキーワードすらなくなるかもしれません。
今はまだ差別や偏見を受けやすい時代ですが、そう生まれてきたことを悩むより、その時代でどう生きるかを考えたり、あるいはもし子どもが発達障害なら、その子たちが大人になる時代に少しでも状況が良くなるために、今できる行動を起こしたりしたほうが、人生が楽しくなると思いますよ。

 

「帰ることのできる居場所がある」ということ

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自身の経験をきっかけに、発達障害に悩む人たちの憩いの場をつくった光武さん。

たくさん悩んできたからこその前向きな考え方に、安心感を得られたというお客様も少なくないようです。なお、ご自身が“すぐるCEO”として出演するYou Tubeチャンネル「ぽんこつニュース」も始めました。

twitter.com 

その根底には、帰ることのできる居場所を求めてこられるお客様に応えたい気持ちと、当事者として発達障害を取り巻く世界をよくしていきたいとの思いがあるそう。

「帰れる場所がある」「仲間がいる」といった思いや、ちょっとしたことでも聞いてもらえる場があるというのは、誰にとっても心の支えになるもの。もし、ひとりで抱えている悩みがあるなら、週末の夜に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

 

お店情報

発達障害BAR The BRATs

住所:東京渋谷渋谷2-9-10 青山ビル地下1階
営業時間:木曜日19:30~23:30 金曜日・土曜日1部19:00~21:00 2部21:10~23:30
定休日:日曜日~水曜日

brats.shopinfo.jp

 

書いた人:千葉こころ

千葉こころ

自由とビールとMr.Childrenをこよなく愛するフリーライター。旺盛な食欲と好奇心を武器に、人生を楽しむことに全力を注いで滑走中。

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