平成から令和の「食ブーム」について考えてみる──日本人は何を食べてきたのか? 

平成から令和……日本人が一億総グルメ化したおよそ30年の食ブームについて、作家・生活史研究家の阿古真理さんにお話を伺いました。

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ティラミスからタピオカまで! 平成〜令和の食ブームが一同に

「歌は世につれ、世は歌につれ」とは昭和のカリスマ司会者・玉置宏の名文句。

とはいえ、歌だけでなく、食も世相を映す鏡。

 

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平成から令和……日本人が一億総グルメ化したおよそ30年の食ブームについて、ご自身の経験も織り込みつつ、分析、考察した『何が食べたいの、日本人? 平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)を2020年10月に上梓した作家・生活史研究家の阿古真理さん。

そんな阿古さんに、日本の「おいしい」の歴史とその裏側についてインタビュー。

それは「あるある」と「驚き」の連続でした。

 

阿古真理(あこ・まり)さんプロフィール

作家、生活史研究家。1968年、兵庫県生まれ。神戸女学院大学卒業。食を中心に、生活、女性の生き方などの分野で執筆。著書に『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(ともに新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』(ちくま文庫)、『昭和育ちのおいしい記憶』(筑摩書房)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『日本外食全史』(亜紀書房)などがある。

 

日本人のケーキ観を変えたティラミスの衝撃

 

──平成から令和まで、阿古さんご自身にとって、一番インパクトのあった食ブームは何でしたか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:衝撃を受けたのはティラミスです。それまでもいろんな食の流行がありました。が、衝撃を受けるほどのことはなかったんです。

 

──初めてティラミスを食べたときのことを教えてください。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:21歳の時、バブルの真っ只中のフワフワ浮ついた空気の中、私は関西で極めて典型的な女子大生をやっていたのですけれど、まわりはイタ飯ブームで盛り上がっていて。

 

──ありましたね、イタ飯ブーム。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:そんな折、新聞社に勤めていた高校時代の先輩に当たる方に就職の相談に行ったさい、イタリア料理店に連れて行ってくださったんです。「うわぁ『イタ飯』だ!」って思って食事をして、最後に出てきたのがティラミスだったんですよ。ちょうど東京で発売されて2か月後くらいだったから話題になっていて、「あぁ、これがティラミスね!」って。

 

──どこが衝撃だったのですか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:味と食感と見た目ですね。それまでケーキって、スポンジを使っていて、固くてしっかりしているお菓子だと思っていたのに、ティラミスは、ケーキと違うしプリンでもない。ババロアみたいだけど違う。チーズの甘さとコーヒーの苦味がマッチしているような味も、見た目の地味さも初めて。こんなものがあるんだ、って驚きました。

 

──私も初めてティラミスを食べたときは驚いた記憶があります。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:のちに食文化を研究するようになって、ティラミスブームを振り返ってみた時に、あれは日本人の食文化におけるターニングポイントだったんだと思い至るんですけれど。

 

高度成長期に求められたスイーツとは

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──ティラミスがブームになった1990年は、冷戦終結という、世界史的なターニングポイントでもありました。ティラミスが日本の食文化に引き起こしたインパクトはどのようなものだったんでしょう?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:ティラミス以前、日本人にとってのケーキとはシンプルな風味とふわふわのスポンジの食感でした。ところが、ティラミスは濃厚な味わいで中身がぎっしり詰まっている。
甘さと苦さという異なる味覚を同時に味わえるものもありませんでした。戦後の日本では、ドーナツのように小麦の要素が強くシンプルで甘いものが好まれていましたから。

 

──ティラミスは日本人の舌にとって斬新だった。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:ティラミスはイタリア菓子ですが、フランス人がスイーツに求めてきたのと同様の、複雑な味のハーモニーを楽しむ要素が入っている。
戦前にはヨーロッパ由来の濃厚な洋菓子が日本にも入ってきてはいたのですが、戦争に向かうなか、そういうぜいたくは許されなくなっていった。そんなこともあり、戦後は、和菓子的な要素の入ったモンブランが人気になったりと、シンプルなものからスタートしていったんです。

 

──なぜそういうシンプルなケーキが好まれたのでしょう?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:人は危機に陥ると複雑なことに脳を使いたくない。もっと単純に安心したいから、シンプルなものをよしとする流れで戦後がスタートしたのだと思います。それと、高度成長期にかけて、洋菓子を食べ慣れていない地方の庶民層が都会に流入し、より多くの人が洋菓子を食べるようになりました。
そういう層には素朴なもののほうがウケる。これら2つの要因から、昭和の時代はシンプルなお菓子が流行ったのだと思います。

 

──なるほど! 戦後普及した洋菓子のピークが昭和の末。そして、平成からは「高度成長期」ならぬ「高度スイーツ期」のような時代が始まったと。その転換点を象徴するのがティラミスだったわけですね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:そうです。ここからスイーツブームが始まり、ものすごく盛り上がったのが2000年前後の数年間だったのですが、そこに向かう過程で、ナタデココやカヌレ、パンナコッタ、ベルギーワッフルなど、90年代を通じていろんなブームが起こるわけです。そのある種の頂点がマカロンなんですよ。

 

──どうしてマカロンが頂点に?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:卵白で作ったメレンゲと砂糖、アーモンドパウダー、香料などだけでつくるというシンプルさ。そして名パティシエ、ピエール・エルメのマカロンに代表される、日本的ではないカラフルさ。上陸したときには大騒ぎになりましたよ。日本は淡い色合いが好まれますからね。昭和期なら、日本人の多くはとても食べ物の色とは思えないと思ったかもしれせません。

 

──1985年のプラザ合意に伴う円高によって、海外旅行者が増えたことの影響もありそうですね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:1990年以降に海外旅行者数が1,000万人を突破し、1995年には1,500万人を超えました。現地の味を知っている人が格段に増えたことも関係しているでしょうね。

 

タピオカ大流行の陰にスタバあり

──最新のスイーツブームというとタピオカフィーバーだと思うのですが、おじさんになってしまったせいか、流行る理由も面白さもピンとこないんです。いわゆる「インスタ映え」が理由なのかと思ったりはするんですけれど。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:タピオカが流行した一番の理由はお店が増えたことです。

 

──ユーザーサイドでなくサプライサイドの問題だと?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:そう。台湾系のTHE ALLEYやGong Cha、Chatimeなどがこぞって上陸してきたんですよ。ここ10年、日本で台湾ブームが続いていることもあるのでしょうね。
リーマンショック以降、不景気や少子化による将来の市場縮小を見越した日本の飲食チェーンやコンビニがアジアへの進出を加速させたのと同様に、台湾企業も成長のために海外市場を重視するようになっているのではないでしょうか。韓流アイドルと同じですね。

 

──それで一気に本邦にも上陸した。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:東京では原宿でも中目黒でも、どこに行ってもタピオカ屋があって、関西にも情報は流れてきているから、開店時には行列ができる。SNS映えするから情報は地方にも広がっていく。神戸のTHE ALLEYがオープンしたときには、1時間待ちの行列ができたんですよ。

 

──ネットで広まれば、テレビや雑誌も後追いしますものね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:それから、ティラミスと同様に、タピオカは食感が独特で面白いうえに、ドリンクに入ったものをストローで吸うわけです。
スターバックスのフラペチーノの流行で日本人の「デザートドリンク」に対する免疫はできていたし、タピオカミルクティーには紅茶だけでなく烏龍茶や日本茶も入っている。お茶は何も入れないで飲むという日本人も、ミルクが入ったお茶を受け入れてしまったんですね。

 

──「おいしい」ことが前提でしょうけれど、タピオカミルクティーが含む、意外性のあるさまざまな要素に脳が興奮状態になったことが、ブームの理由なのかもしれませんね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:私がティラミスで感じた感動は興奮なんですよ。ティラミス同様、さまざまな要素によって、タピオカは加速的に広まったのだと思います。

 

平成の食ブームを牽引した『Hanako』

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──ブームはその時々の情報環境と密接に関わっていると思うのですが、平成の食ブームはメディアによってどのように牽引されていったのでしょう?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:平成の食ブームにおいて、1988年創刊の『Hanako』(マガジンハウス)の影響は大きいです。グルメガイドの類は昭和にもあったけれど、女性好みのものはなかったんですよ。そこに登場したのが雑誌『Hanako』でした。
首都圏の女性をターゲットにした情報誌で、ローカルであるぶん情報密度が濃く網羅されていたうえ、2、3号に一度は食についての全面特集を組んでいたんですね。

 

──対象読者を当時の平均結婚年齢だった27歳の女性に絞って想定していたといいますね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:1986年に男女雇用機会均等法が施行されるのですが、その前あたりから、仕事を頑張る女性が増えてきていました。その、バブルの真っ只中にいて、可処分所得が高く、外食に意欲的な、現在60歳前後の女性たちを「第一次『Hanako』世代」と呼ぶのですが、彼女たちの心をつかんだ雑誌のパイオニアだったんですね。

 

──実際の内容はどうだったのでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:載っているお店の料理も実際においしく、ガイドブックとしても機能したので、行列店が続出しました。ティラミスブームの火付け役も『Hanako』。『女性自身』(光文社)のような女性週刊誌でも同時期にティラミスを特集したけれど、インパクトは圧倒的に『Hanako』のほうが上でしたね。

 

──既存の女性週刊誌とは一味も二味も違っていたわけですね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:働く女性たちが力を持ち、自由になる所得が増えたことで、自立した生活をすることに積極的になりました。『Hanako』を読めば、男性に連れて行ってもらわなくても、一人で食事に行けた。あの時期の女性たちは『Hanako』によって、遊びで自立したんです。

 

──関西ではどうだったのでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:私のまわりでは反発のほうが大きかった印象があります。関西版の『Hanako WEST』が創刊された1990年には、すでに『Meets Regional』『SAVVY』『Lmagazine』といった、京阪神エルマガジン社の情報誌が関西を席巻していましたから、「東京から来る『Hanako』?、何それ?」って感じで。

 

──(笑)

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:『Hanako』は、当初は関西ではあまり好感を持たれていなかった記憶がありますね。

 

「レシピブロガー」が食のカリスマになる

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──『Hanako』以降、90年代後半になるとインターネットが普及し始めます。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:2000年代に入るとブログが普及し、雑誌では読者の側だった人たちが情報を発信し始めます。たとえば、ラーメンだけを食べ歩くブログとか、趣味性の高いテーマを自分で決めて、自己演出をして、それぞれが食レポを発表。
なかにはびっくりするくらいハイクオリティの記事も出てきました。そもそも、オーソリティのある雑誌よりも、隣の○○さんの口コミ情報のほうが強いので、人気ブロガーの情報を頼りに行動する人たちが出現してきます。

 

──情報の質と内容も変わってきたわけですね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:そんななか、2003年に流行した食ブームが「キャラ弁」。2005年くらいまでに沸騰していき、その後は定着していくわけですが、これはブログ発のブームでした。

 

──レシピブログがサービスを開始したのが2005年でしたね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:レシピブログはうまく使えば料理家としてデビューするための回路としても機能しました。たとえば、SHIORIさんや山本ゆりさんのように、ブログから始めて出版社に発掘され、ベストセラー本を出すレシピブロガーが現れます。

 

──雑誌についてはどうなのでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:のちにコストコやル・クルーゼの流行の源となる『Mart』(光文社)が2004年に創刊されていますね。この雑誌は「団塊ジュニア世代主婦のバイブル」みたいなところがあって、キッチン用品や食材を「雑貨化」したんですよ。

 

──『Mart』が料理雑誌ではなくファッション雑誌だったというのが面白いですね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:団塊ジュニア世代は、実態としては70年代生まれ全般が該当するのですが、この世代の後半は女子高生ブームの時にルーズソックスを履いてプリクラを撮っていた女の子たちですから、ビジュアル志向が強く、きれいで可愛いモノに対する感度が高い。
だから、マカロンにも飛びつくし、ル・クルーゼも使う。ル・クルーゼも「映え系」なんですよね。実用性もありますし。

 

──ビジュアル志向のユーザーがみずから情報発信するようになったと。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:ブログの普及が紙のメディアからインターネットへの動きを促し、リーマンショックあたりから雑誌は力を失っていき、SNSの全盛時代になるわけです。

 

『美味しんぼ』『dancyu』そして『孤独のグルメ』へ

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──本の中で、『美味しんぼ』(※1)や『孤独のグルメ』(※2)といった、食をテーマにしたマンガやドラマについても考察していますね。

 

(※1):『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて1983年より連載。現在長期休載中。

(※2):『『月刊PANJA』誌上で1994年から1996年まで連載。2008年から2015年まで『週刊SPA!』(扶桑社)にて読み切り掲載。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:『美味しんぼ』の連載開始が1983年で、すでに始まっていたグルメブームを盛り上げる大きな要素でした。
本来、軽薄なグルメブームに危機感を抱いた原作者の雁屋哲さんが「こんなエセ食品が流行る世相にもの申す」ために、食の裏側を取材して告発する趣旨だったのに、作者の意図を離れて、視聴者は食のうんちくやグルメ対決に盛り上がり、皮肉にもロングセラーになりました。その流れに『dancyu』(プレジデント社)が乗っかり、『料理の鉄人』(フジテレビ)が乗っかって、一億総グルメ化を盛り上げていきます。

 

──『孤独のグルメ』についてはどう考えていますか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:2000年代に入ると「食を中心とした物語」が描かれ始めるんです。映画『かもめ食堂』(2006年)あたりから料理を大きく映すようになるんですね。そういうトレンドに合わせて、食にフォーカスを当てたドラマが多くなってくる。その、ある意味の到達点が『孤独のグルメ』なのだと思います。

 

──「ある意味の到達点」とは?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:社会の人間関係が希薄になるなか、かろうじて人と人を繋ぐ食に焦点が当たるようになってきたんですね。ライフスタイルの多様化で人々の共通項が少なくなってきても、近しい人とご飯を食べて「おいしいね」って言い合うことは万人共通ですから、そこにドラマがあった。

 

──たしかに。ドラマは人と人との接点から生まれますものね。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:ところが、『孤独のグルメ』に至っては「普段の人間関係で疲弊しているのだからご飯ぐらい一人で食べさせてくれ」という設定ですよね。『美味しんぼ』から遠く離れた2010年代は孤独がしっくりくるような世相になった。リーマンショックに震災と、いろいろな事件があったなかで、「独りもいいよね」という姿勢が社会的に許容されるようになったことがヒットにつながった要因だと思います。

 

──ふと思ったのですが、『孤独のグルメ』と『深夜食堂』(※3)は合わせ鏡かもしれないですね。『孤独のグルメ』は孤独。かたや、『深夜食堂』は家族的ですよね。現代の分断された個と、それを補う擬似家族と言いますか。

 

(※3):『ビッグコミックオリジナル増刊』『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて連載。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:『孤独のグルメ』は「分断された個」ではなく、「選び取られた個」なんですよ。主人公の井之頭五郎は「結婚できない男」ではなくて「結婚しない男」。阿部寛とは違うんです(笑)。

 

──なるほど、たしかに(笑)。

 

コロナ禍に襲われた令和2年の食ブーム

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──そして令和に入るわけですが、新型コロナウイルス感染症の流行によるステイホーム需要で小麦粉やホットケーキミックス粉の品薄状態が続き、フリマアプリなどで高値で販売されていたことに農林水産省が異例の声明を出した「ベーキングパウダー売り切れ事件」のことは知りませんでした。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:ここ最近のトピックといえば、やはりベーキングパウダーや小麦粉の売り切れ事件ですね。ここ数年の時短ブームの陰で、ていねいな食に対する願望が顕在化してきていて、やりたいけど時間がなくできなかった層の一部が、ステイホームで時間ができたことでベーキングパウダーに走ったんですね。

 

──なぜベーキングパウダーだったのでしょう?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:レシピ情報はネットにもあるし、レシピ本もある。時間もあるということで、外食のような手の込んだものを作る人たちもいたんでしょう。パンはまさにその最たる例で、発酵時間も含めれば丸一日かかる。気分転換になるし、精神の安定にも繋がる。おいしくできればよりうれしい。

 

──ベーキングパウダーの他に動きはあったのでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:ベーキングは顕著な形で出てきましたけれども、それだけじゃなく、ラーメンを出汁から作る人も多かったんですよ。「ラーメン屋さんに行きたいけど行けない。でも、インスタントは嫌だ」って。

 

──あえて手間暇をかけて料理をすることの楽しさを味わうのがトレンドになってきた。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:梅酒や梅干し作りが最近人気になってきていますよね。味噌作りも2010年頃から人気が続いています。発酵食品への注目は塩麹ブームから始まったんですけれど、そういった手作りの保存食に対するニーズはずっとあって、お休みや特別な日には手の込んだ料理を作る人たちがいた。それがコロナ禍で拡大したんですね。

 

一度ブームになったものは、消えない

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──コロナ禍が落ち着いたらどうなるんでしょう?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:元に戻る部分もあるかもしれないけれど、一度ブームになったものってたいてい消えはしないんです。ナタデココもまだ売っているし、ティラミスも食べられている。ていねいな料理を家族で作って一緒に食べるとか、一緒に過ごすとかいうことはコロナ禍以降も残っていくでしょうね。

 

──他に、残っていく風潮のようなものはあるのでしょうか?

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:一方で、『孤独のグルメ』が象徴するような、一人で個人経営店の個性的な料理を楽しむようなスタイルも残る。多様化するということですね。さまざまな価値観を認め合えるようになれば、生きることは楽になります。

 

──コロナ禍によって、これまでの社会や生活の形が変わって失われることは少なくないと思いますが、阿古さんの視点に立つと、物事はいい方向に進んでいるようにも感じられます。

 

f:id:hiro81p:20201210121859j:plain阿古:私自身が、最終的にポジティブな結論を導きたい性格だからかもしれませんね。明るい方を見たいタイプなんです。

 

(※このインタビューは2020年10月に収録したものです)

 

書いた人:渡邊浩行

渡邊浩行

編集者、ライター。アキバ系ストリートマガジン編集長を経て独立。日本中のヤバい人やモノ、面白い現象を取材するため東へ西へ。メシ通で知ったトリの胸肉スープを毎日飲んでるおかげで、私は今日も元気です。でも、やっぱりママンの唐揚げが世界一だと思ってる。

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