日々、リング上で熱い闘いを見せるプロレスラーたち。
その試合の基盤にあるのはタフな練習、そして “食事” だ。
その鍛えた身体を支えるための日々の食事はもちろん、レスラーを目指していた頃の思い出の味、若手の頃に朝早くから作ったちゃんこ、地方巡業や海外遠征での忘れられない味、仲間のレスラーたちと酌み交わした酒……。
プロレスラーの食事にはどこかロマンがある。
そんな食にまつわる話をさまざまなプロレスラーにうかがう連載企画「レスラーめし」。
写真提供:WRESTLE-1
ムーンサルトプレスにシャイニングウィザード、そしてドラゴンスクリューからの四の字固め……今回は、その技の名前を出すだけで数々の名場面が浮かぶ希代のレスリングマスター・武藤敬司選手の登場です。
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橋本真也・蝶野正洋と並ぶ「闘魂三銃士」として90年代の新日本プロレスをけん引。特に1995年10月9日、超満員の東京ドームで行われた新日本とUWFインターナショナルとの対抗戦ではメインで高田延彦を撃破、のちに日本プロレス史に残る指折りの名場面と言われました。
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その後、2002年に全日本プロレスに移籍し社長に就任。そして2013年にWRESTLE-1を旗揚げし、現在は団体会長としてその辣腕(らつわん)を振るっています。
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またアメリカで誕生した武藤敬司の「化身」グレート・ムタも世界的な知名度を誇り、武藤・ムタという「ふたつの顔でレジェンド」という選手はそうはいないでしょう。
おふくろの味に飽きてジャンクフードに憧れたね
その天才的なプロレスのセンスでデビュー当初から期待された武藤選手。
運動神経の良さに加え、出産時で4,000gという生まれついての体格の良さもずば抜けていました。生まれの山梨時代はどんなめしを食べていたのでしょうか。
── 子どもの頃好きだった食べものって覚えてますか?
武藤:子どもの頃は……覚えてねえなあ。ただジャンクフードには憧れてたよな。俺が小学校か中学校の頃に出てきたからね。
── ジャンクフードというとハンバーガーとかですか?
武藤:そうそう。うちのまわりだとマクドナルドよりモスバーガーの方が先に出来たんだよ。シェイクとかうまかったよなあ。あとチンでつくる(レンジでつくる)ピザにも憧れたよね。まだピザ屋さんはなかったと思うんだよな、大手のチェーンみたいなのは。
── 子どもだとなおさら憧れますよね。
武藤:あとそうだ! 俺らが中学くらいのときに、街にすかいらーくが出来たんですよ。
── ファミレスが! それは斬新でしょうね、当時としては。
武藤:すかいらーく行って、はじめてビーフシチューとか食べてさ。うちのおふくろ、まずシチューなんて作らないからね。
── それは衝撃でしたでしょうね。
武藤:あと俺が小学校くらいからカップ麺も出てきてさ。それ以前はカップ麺なかったからな、袋麺だけで。あとレトルトカレーとかもあったよなあ。だから、そういうのに憧れたよな。新しい食べものっていうか、物心ついた頃を過ぎて、いよいよおふくろの味に飽きてくるころ。
── 子ども心におふくろの味が古く感じたりもしますよね、ハンバーガーやピザの前では。
武藤:だって家だと和食しか食わなかったからな。出るものっていうと、焼き魚とか野菜炒めだとか豆腐だとか……あと肉も生姜焼きとかを食べるんだけど、おふくろが牛肉を食えないんだよ。
── そうなんですか。
武藤:「乳くせえ乳くせえ」つってさ。牛乳くさいみたいで、だからあんまり牛乳も飲まなかったかな。
── それでもこんなに大きい体に成長したんですね(笑)。
武藤:だから東京に遊びに行ったとき、初めて吉野家の牛丼を食べて感動したよね!
── ハンバーガーにビーフシチューに牛丼と、肉への憧れは一貫してますね。
武藤:そうだなあ。家ではさ、まぐろの刺身はもう毎晩くらい食べてたんだけどな。山梨ってさあ、まぐろの消費量で全国2番目とかなんだよな。
── そうなんですね! 海がない県だけに意外です。
武藤:それ以外にも、おふくろが作る郷土料理っていうか、やっぱり「ほうとう」とか、ああいうのは冷たくなってからもうまいんだよな。一夜明けてもさあ。ごはんにかけてもおいしかったし。あと「吉田のうどん」とか、家でも作ったりしてたね。
── ジャンクフードに憧れはあるけど、山梨の母の味も忘れられないですね、やっぱり。
武藤:あとうちの近所は馬刺しがうまいんすよ。馬刺しというと熊本だけど、そこのとも違ってね。肉がヒレなんですよ。熊本の馬肉もうまいけど、山梨もうまいっすよ。子どもたちもすげえファンだもん。山梨に帰省したときは必ず買って帰るくらい!
俺がちゃんこ番の時は評判悪かったけどな
柔道で国体出場、全日本強化指定選手に選ばれるなどの実績を残したのち、1984年に新日本プロレスに入門。同期として出会ったのは、のちの「闘魂三銃士」橋本真也・蝶野正洋。主力レスラーのUWF離脱などゴタゴタが多い時期ではありましたが、ここで踏ん張った新弟子たちがのちの90年代のドームプロレス時代を支えることになります。
── もちろん若手時代は武藤選手もちゃんこを作ってたわけですよね。
武藤:そうすね。一週間に一度くらい当番が回ってきてね。
── ちなみにそれまで料理の経験は?
武藤:ない!(キッパリと)……というか、俺の人生で料理してた時期って、その時だけだもん。道場にいた一年ちょいくらいだよ。
── そうなんですか。そのわずかな手料理時代はスムーズにちゃんこを作ってました?
武藤:まあ、やることといえば野菜切って肉切って……だから簡単じゃないすか。
── ではそれほど苦労はしなかった。
武藤:まあ、俺がちゃんこ番の時は評判悪かったけどな(笑)。
── 簡単って言ったのに!
武藤:あのねえ、「豚ちり」ってのがとにかく簡単なんですよ。ポン酢をちょっと作るだけで、あとは材料をぶち込むだけで簡単なんだけど、これがまたレスラーの人たちから人気がないんですよ。
── 簡単さを優先してたら不評になったと。
武藤:でもさあ、俺が入った頃の新日本プロレスって景気よくてねえ。たしか俺の記憶だと、ちゃんこ番に一日食費3万円出てたんですよ。それで朝晩作るんだけど、しゃぶしゃぶとかにかなりいい牛肉使うんだよ!
── 前にインタビューした前田日明さんも「新日は毎日の食費がすごくて、いい肉を使ってた」とおっしゃってましたね。
武藤:ただ……なんというか、本当に罰当たりなことしてたんだけど、それ、全部は食えねえんだよな。だから米とか肉とか余ったら、全部捨ててたね。
── うわー、もったいない!
武藤:当時は本当にぜいたくしてた。「3万円使い切るのがちゃんこ番の使命」みたいな感じだったからな。今、うちでも若いのにちゃんこ食わせてるけど、絶対そんなことさせないからね!
── 経営者側になれば、そりゃそうですよね(笑)。でもそんないい肉だけにかなりおいしかったのでは?
武藤:俺らのときは豚ちり、キムチベースか塩ベース、バター焼き……ぜいたくでうまかったよな! しゃぶしゃぶとか、プロレス界に入って初めて食べたからね。まあ、吉野家とそんなに変わんないなと思ったけど(笑)。
橋本はうまかったよね、料理だけは(笑)
── 当時の若手で料理がうまかったなって選手は?
武藤:橋本はうまかったよね、料理だけは(笑)。
── 「料理だけは」(笑)。
武藤:俺とか蝶野は包丁使うのもヘタだったけど、橋本は包丁使いもうまかったもんな。味の工夫とか、研究する方だったし。
── 橋本さん、「凝り性だった」って皆おっしゃいますもんね。
武藤:あんまり覚えてねえけどな。……でも、俺も頑張ったよ? サンマ焼いたりしてさ。寮を出て、通いになってもちゃんこ番は残るんだよ。みんなが帰ってくるのを待って、ちゃんこを作んなきゃいけない。
── それも若手としては大変ですね。料理を作って、先輩後輩を待って。
武藤:みんなの喜ぶ顔が見たいな~と思ってやってるんたけどね。
── 奥さんみたいなこと言いますね(笑)。しかし実際は頑張ってたけど不評と。
武藤:あんまり慣れてないからさあ。俺はプロレスのセンスはいいほうだと思ってるけど、料理のセンスはあんまりないみたいだな。
アメリカンフードだけの生活は、ほとほといやになったよな
その天性の運動神経とスター性に早くから目をつけられた武藤選手は、デビュー翌年の1985年には早くも初となる海外遠征。その経験からいち早くアメリカンプロレスの影響を強く受けた試合を日本でも見せるようになる。ということは、試合だけでなく私生活もアメリカにすっかりなじんでいたのでは?
── さて武藤選手は若手としてはかなり早く海外遠征に旅立ちますけど、子どもの頃にアメリカ的なごはんに憧れたってことは、かなり楽しかったんじゃないですか?
武藤:いやもう、アメリカ生活なんてすぐ嫌いになったね!
── えー! 最初の流れだと楽しそうですけどね。ハンバーガーとかピザとか食べまくって。
武藤:もう「飽き」だろうなあ。米って食ったら、とりあえず胃に残るじゃん。アメリカの食べものを同じくらい胃を埋める気で食ったら、胃もたれしちゃったりするしね。
── 同じ重量感でも肉だとがっつり残りすぎると。
武藤:そうそう。パンとかパスタも違うじゃん。だからすぐギブアップした気がするなあ。
── やっぱり日本人としては米が恋しい。
武藤:そうなんだよな! だからチャイニーズ(中華料理)ばっかり行ってましたよ。最初に行ったタンパって街は、今でこそ日本人ばっかりなんだけどさ、メジャーリーガーとか。俺らの頃はぜんぜんいなかった。日本食のレストランとかも2軒くらいしかなくて、またインチキみたいな日本食もあるしさ。ニューヨークとかロスならいいのもあるけど……。
── タンパはヒロ・マツダさんが多くの日本人レスラーを育てた街ですよね。80年代だとそんなもんですか。
武藤:でもタンパっていうかフロリダはさ、スパニッシュの人が多くて、そっちの人たちってイエローライスを食べるんですよ。チキンとイエローライス、それがうまいんだよな! やっぱり行き着くところは米なんですよ。フライドチキン屋さんで「ポパイチキン」ってお店があって、そこのケイジャンライスがうまかったんだよな~。
── ハンバーガーよりケイジャンライスにハマったわけですね。
武藤:あとタンパって海だから、オイスターを出すお店が多かったんだよ。それがまた安くてさあ。シーフードもいっぱいあるんだよ、ロブスターとか。食べ物は安かったな、スイカとかも、100円でこんなでっかいのが(大きな身ぶりで)買えたりしたしね。それも1ドルしなかったよ。
── その後WCWではトップレスラーの仲間入りしますよね。その頃は豪勢なものばかり食べられたのでないですか?
武藤:いやっ! ていうか、アメリカって日本みたいに高い食いもんはないよ。どんないいところのステーキ屋さんに行ったって、「A1ソース」出してくるからね。普通の、どこででもある市販のソースよ。
── そうなんですね(笑)。
武藤:WCWにいた頃はね、ずっとホテル住まいなんですよ。キッチンもなければなにもない、だからもう、100%外食なんですよ。しかも年間300試合とかやってるからさ。それが試合は夜7時に始まって、10時とか11時に終わる。そうなるともう、ワッフルハウスとかデニーズみたいな限られたところしか開いてなくて。日本のレストランなんてまず開いてない。そんな環境だからもう、チャイニーズばっかり食ってたよ。
── 最終的な選択肢は中華、と。
武藤:そんなだったからさ、アメリカから帰ってきたとき「日本の米よりチャイニーズ米食いてえな!」ってなっちゃって(笑)。そっちの味になじんじゃったんだよね。あれってさ、あっさりしてお腹に優しい味なんだよな。そういう時もあったよ。
── WCWのトップレスラーでもそんなものなんですね。
武藤:今でもアメリカ人って食べるもの変わんないでしょ。今年の1月にもひさしぶりに試合と仕事でロスに行ったんすよ。一週間近くいたんだけど、朝飯がもういやだったもんね。同じホテルだから毎回同じビュッフェの朝飯で、朝から肉とかベーコンしかないって感じで、疲れたよ。さすがにアメリカンフードだけの生活は、ほとほといやになったよな。
ケンドー・ナガサキさんと2人で「うわ、これやばいよ!」って
「ザ・グレート・カブキの息子」として米マットに登場したグレート・ムタはたちまち大ブレイク。スティングやリック・フレアーといったトップレスラーたちと戦うまでに上り詰めます。
そんななか、武藤選手が食事の面でお世話になったというのが、当時アメリカやプエルトリコでヒールとして活躍していたケンドー・ナガサキさんでした。
武藤:途中からはケンドー・ナガサキさんと同居したんですよ。桜田さん(ケンドー・ナガサキの本名)は相撲あがりだからさ。朝晩作って、試合行く時も弁当を作ってくれたりしたね。
── そんなに面倒見がいいんですね、ナガサキさん。
武藤:試合終わってからナガサキさんの弁当食うんだけどさ、うまかったよ。日本のストアとかないから、オリエンタルのスーパーで買って詰めてくれるんだけどさ。
── 武藤さんのほうが後輩ですよね?(笑)
武藤:いちおう俺も料理くらい手伝うんだけどさあ! うまいんだもん、桜田さんの方が。なんでも作ってくれたよ。オムライスとかも作ってくれたしな。カレーくらいは俺ひとりの時も作ったけどね。
── けっこう遠征時はナガサキさんと一緒のことが多かったんですよね。
武藤:プエルトリコでも一緒で、その時はアパートを一緒に借りてたんだよね。それである時スーパーの魚屋さんに行ったらツナ(マグロ)があったから、桜田さんとツナを刺身で食ったんですよ。それを昼飯のときに食って、その後プールサイドにでも行こうかって言ってたんだけど、よく漫画で気分悪くなると、下から顔が真っ青になっていくじゃん? アレみたいに下から体の色が赤くなっていってさ。
── 見た目からして体調がヤバいことに!
武藤:それで「調子悪いから部屋戻ります」って言ってさ、起き上がろうとしたらクラクラって倒れそうになってさ。そしたら桜田さんも「オレもだ!」って倒れそうになってて。2人で「うわ、これやばいよ!」って言って、クラクラしながらゲーゲーして、下痢して……大変だったよ! やっぱり海外で生で魚をさばいて食うもんんじゃないね(笑)。保険もないし、そういうのが海外は怖いよな。
お世話になった坂口征二さんは「お酒LOVE」な人
── 武藤選手はアメリカでの成功ののち、日本でもプロレス界の頂点に向かっていきますが、やはり若手からトップのひとりになると、おいしいものを食べる機会は増えました?
武藤:そうだね。巡業先とかで、その土地土地のおいしいものが食えたよな。ほんとにそのシーズンの一番いいものだったと思うけどね。ただ、面白いもんで沖縄にいるときは「泡盛うめえな~」って飲んでるんだけど、東京に戻ってきて飲みたいとはそんな思わねえんだよな。名古屋の味噌煮込みうどんとかもうまいけど、こっち帰ってくるとあんまり食いたいと思わないし。
── 名物はその土地で食べたり飲むからいい、と。
武藤:一番食ったのはラーメンだよね。昼飯とかラーメンで済ませることも多いよな。全国いろんなとこで食ったよ!
── 巡業で自然とラーメン通になっていくわけですね。そのなかで印象的なラーメンといえば?
武藤:うーん、やっぱり博多かなあ。熊本の「黒亭」とか好きだねえ。あと鹿児島の駅前のラーメン屋さんもうまかったなあ。
── 九州の豚骨系がお好きですか。
武藤:北海道の「すみれ」とかも好きだよ。あと近場だと佐野ラーメンとかさ。あと長崎のちゃんぽんなんかもクリーミーでうまかったね! 若い頃はずいぶん行ったよ。
── 飯はラーメン、あと飲みに行ったりというのも当然ありました? 若手同士とか。
武藤:飲みに行く仲間とかはいなかったな。そこの場所で接待するとかそういう飲みばっかりだよな。しいていえば、若い頃は坂口さん(坂口征二)さんとよく一緒だったよ。
── 当連載で一番酒豪として名前が出てくる坂口さんですね(笑)。
武藤:坂口さんと木村健悟さん、それと俺でよく飲みに行ってたなあ。博多でモツ鍋食ったり、熊本で馬刺し食べたりしてね。うまかったな~。
── やっぱり坂口さんはかなりお酒を飲まれますか。
武藤:飲むよ! でもね、坂口さんって楽なんだよ。なぜかというと、必ず0時までには帰るから。すんごい楽。おれは木村さんの付き人だったから、飲んだ後に洗濯とかしなきゃいけないからね。練習して試合して、飯食って洗濯してって、もうバッテリーが残ってないからさあ、こっちは。
── それは若手としてはありがたいですね。しこたま酔っ払うまで飲む先輩につきあわされて、その後に洗濯まであったらキツすぎます。
武藤:あと坂口さんって、基本的にネエちゃんがいるお店とか好きじゃないからさ。たまにつきあいで行くときもあるけど。あとカラオケも好きじゃないから。自分もカラオケがあるところとか行きてえと思わないもんね。自分でも歌いたくねえし、他人のヘタな歌聞きたくねえし(笑)。自然と俺もそういう飲み方になっていったもんね。
── 飲みの席での「坂口イズム」が植え付けられたんですね。
武藤:まあ、坂口さんはたしかにお酒強かったけど、それ以上にこよなくお酒が好きな人だったよ。お酒LOVEだよな。
坂口さんちのワインを全部飲んじゃった
「レスラーめし」取材でも「酒豪」としてたびたびその名が登場する坂口征二さん。
武藤選手とはまた他の選手とは違った親密さで、別の表情を見せていました。
武藤:あと坂口さんと仲良くなったのは、3年目の時かなあ。いやもっと前だな、スペースローンウルフの前からだけど、旅館での泊まりになったら、俺と星野さん(星野勘太郎)と服部さん(タイガー服部)と坂口さんで、麻雀つきあってたからさ。
── なるほど! そっちの仲間として(笑)。
武藤:そういう趣味からして坂口さんとは合ったよね。結婚式の仲人もやってくれてるし、長男坊(※坂口 征夫)の仲人は俺がやってるからな。
── もう、家族ぐるみになるほどの仲だったんですね。
武藤:フロリダから急きょ帰ってきたときとか、坂口さんが俺のために部屋を借りててくれてさ。坂口さんの家から道渡ってすぐのところで、お母さんも同じアパートだったんだよな。だからちょくちょく坂口さんの家で飯食ってたよ。
── ほとんど息子ですね(笑)。
武藤:そういえば、坂口さんの家にワインクーラーがあったんだよ。それで坂口さんがヨーロッパかどこか行ってる時に、奥さんと俺ともうひとり、誰だったかな……ブッチャー(橋本真也)だったかな? 坂口さんちの高級ワインを6本か7本飲んじゃって、おれは怒られなかったけど奥さんは怒られたことあったね(笑)。すげえ飲んだんだよ! 飲みすぎて唇が紫になったもんな。
── その後、武藤選手は新日本を退団しますが、それ以降の交流は?
武藤:新日をやめたあとはいろいろ文句言われたけどさ。全日本に行った後に新日の東京ドームとかのオファーがくるときは、坂口さんから直接電話が来たりしてたね。あとドーム興行とかでは俺の控え室にいるのが一番居心地いいのか、(当時は他団体なのに)俺の控え室にずっといたよね。飲んだり麻雀したりもずいぶんしてないからね、また囲みたいね。
いま若手にはまず海鮮丼を食わせる
2002年に全日本プロレスに移籍して社長に就任。そして現在のWRESTLE-1といずれも社長、会長という立場についた武藤選手。団体が違えばちゃんこも違う……なんてことはあったんでしょうか。
── 全日本に移ってちゃんこの違いってありましたか?
武藤:そんなに変わんないけどな。ただ全日本に来たら、その頃、荒谷(荒谷望誉)ってのがいて、こいつが相撲あがりだからちゃんこを作るのがうまかったんですよ。あと浜(浜亮太)ってのも来て、とにかく相撲あがりがくるとちゃんこがうまいわね。微妙な味つけがほんとにうまい。特に浜は手作りのポン酢があるんですよ。ニラが入ってたりして、それがうまくてね。
── やっぱり元力士のちゃんこは皆絶賛ですね。
武藤:いまウチのちゃんこはささみ肉とかだからね、あんまり食いてえとは思わないよな。
── まあ、身体を鍛えるにはいいんでしょうけど。
武藤:時代はそうなんだろうけどさ。俺たちの頃のレスラーと、今のレスラーじゃ違うもんな。腹筋が割れてなきゃいけないとか。俺は昔の体型のレスラーの方が好きだけどな。
── 全日本、WRESTLE-1では社長に会長といずれも団体の経営の長という立場になったわけですけど、若手選手とめしを食べに行ったりはするんですか?
武藤:全日本の頃は、道場が俺の家から近かったんですよ。だからよく道場にちゃんこを食べに行ったりしてたし、よく若手を外に連れて行ったりもしてましたよ。
── 上に立つとそういう機会が増えるでしょうね。
武藤:当時たまプラーザってところで、「すしつね」っていうお寿司屋さんに選手を連れて行ったりしてたんですよ。そこに浜とか連れて行くと、普通ひと皿ずつ頼むのにいきなり「玉子八貫」とか「まぐろ八貫」とか頼みやがって(笑)。それから若いやつらに食わせる時は、まず海鮮丼を食わせてから「好きなものを食え!」って言ってますね。
── 経営側としてはそうなりますよね(笑)。
武藤:俺たちの若い頃はバブルだったからなあ。ちゃんこも昔に比べたら身体にいい鍋にはなってるよな。それにみんなプロテインとかも飲んでるから、今は今の鍋がある。そういう時代だよね。でもやっぱうまいもん食わせてあげたいよな!
現在ではWRESTLE-1の会長、そしてプロレス総合学院の校長と、選手を育てる立場でもある武藤選手。今のちゃんこにはちょっと不満そうでしたが、現代のちゃんことレスリングマスターの遺伝子がどう組み合わさって次代のスターが生まれるか、楽しみですね。
そして最後、インタビューの終わりに武藤選手しか知らない「もうひとつの顔」にまつわる質問をぶつけてみまみた。
──最後に、これは武藤選手にしか聞けない質問なんですが……グレート・ムタさんが普段食べているものって、どんなものなのでしょうか?
武藤:ムタの好きなもの? 「……毒になるもの」じゃねえの? 身体にいいものなんか食ってたら、毒は吐けねえよな(笑)。
撮影:平山訓生
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