東京都江東区に位置する辰巳駅。この駅1番出口から徒歩約1分に「Café LaLaLa(カフェ ラララ)」が2018年3月29日にオープンした。辰巳駅周辺は、高層マンションが立ち並ぶキラキラした街のイメージを持っている人もいるかもしれないが、1番出口周辺は保育園や小学校、児童館などがあり、さらには昭和の時代に建てられた団地が広がる。駅前はかつて港湾局の土地であったため、商業施設は入ることができず、いまだにコンビニすらないのだ。
▲手前の団地と、遠くに見えるタワーマンションが対照的な辰巳の風景
そんな町で「Café LaLaLa」は、辰巳駅1番出口から最初にある飲食店であり、地域にとって貴重なカフェだ。
「カレーのおばさん」は保護司でもあった
「Café LaLaLa」店主は、中澤照子さん。カフェをオープンする前は、保護司として20年活動してきた。
▲約20年保護司を務めた、店主の中澤照子さん
保護司とは、犯罪や非行した者を更生させ、社会復帰の支援をする人たちのことだ。その主な仕事内容は保護観察。犯罪や非行をした者と定期的に面接し、更生するための遵守事項を守るよう指導する。そして生活上の助言をしたり、就労の手助けを行ったり。そのほかにも、たとえば非行少年の問題の根底に親との確執があるとすれば、それを改善させるために奔走することもあるのだ……。
これだけ聞いても大変な仕事であるにもかかわらず、保護司は非常勤の国家公務員扱いのため無給だ。つまりボランティアで行われている。ちなみに保護司の任期は2年。任期が切れた後も再任になることもあるが、76歳以上の方は再任が認められない。つまり定年というわけだ。1941年生まれで76歳の中澤さんは、2018年12月に保護司としての任期が終了する。
そんな中澤さんは、保護司時代に非行少年たちから「カレーのおばさん」と呼ばれて親しまれてきた。なぜ「カレーのおばさん」なのか。それは保護観察の面接時に、犯罪や非行した者たちを自宅に招いてカレーを振る舞っていたことが由来する。それが評判となり、いつしかそのカレーは「更生カレー」と呼ばれるようになり、さらには地域の子どもや大人も集まる400人規模のカレー会へと発展していった。
このカレー会は年数回も実施されていて、無料でカレーを振る舞っている。
▲法務省のフラッグアーティスト(運動の旗振り役)である歌手の谷村新司さんも、カレー会に参加したことがある
お店のメニューに名物のカレーがない理由
「20年間保護司として活動してきたけど、ついに定年を迎える。その後の自分の道筋について、3年前からずっと考えてきた。自分の経験がいかせるのではないかと思い、人が集まれるカフェにたどり着いた」と中澤さんは話す。
▲店内はホワイトを基調とした作りで、25席ほど。コンセントの使用も可能。壁にはお客さんが趣味で作ったという作品が飾られ、販売されている
▲店内は完全分煙で、喫煙室もある
▲喫煙室はこんな感じ。一服したい喫煙者にとってはホッとする空間に
しかし、「Café LaLaLa」のメニューにカレーがないのだ。「カレーのおばさん」として有名な保護司なのに、なぜカレーを提供していないのだろうか?
▲メニューの写真。ドリンクやトースト類はあるが……
中澤さん:今までずっと無料でカレーを振る舞ってきたのに、カフェを開業したからってお金をとっていいのかしら。カレーを商売にしていいのかしらと、どうも私の中でひっかかりがあってね……。「全然気にすることないよ! カレー作ってよ」と言われるんだけど、まだ迷っているところ。
中澤さんはそう胸の内を打ち明けた。
まさかの回答だった。
先述した通り、保護司はボランティアで行われている。だから保護観察の面接で振る舞うカレーの食材費などは、すべて中澤さんの自己負担だ。さらにカレー会も、最初は中澤さんが自己負担で200食作っていたという。その後、活動に賛同してくれる仲間たちから、お米や野菜、ドリンクなど食材の差し入れという形でサポートが行われるようになった。
それでも費用を自己負担することもあった中で、“カレーを商売にしていいのかしら”と悩んでいたとは。
中澤さん: でも、もし多くの要望があれば、裏メニューとして提供したり、曜日限定にしたり、予約制にしたりはするかも。毎日作るのは大変だからね(笑)。
思いやりが細部に詰まった「更生カレー」
今まで何千食のカレーを作ってきたかわからないという中澤さん。そんなに大勢もの胃袋をわしづかみにしたカレーとは、いったいどんなカレーなのだろうか? 中澤さんは「普通のカレーなんだけどね」と首をかしげる。
▲取材のため特別に作っていただいたうわさの「更生カレー」
たしかに一見、家庭でよく食べる普通のカレーのようだ。具材も玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、豚バラ肉と王道である。だけど、細部に中澤さんの思いやりが詰まっている。たとえば、食べ応えがあるよう、具材を大きくカットしていることだ。お肉はブロックを買ってきてひと口大にカットしている。じゃがいもは煮崩れしないよう、別の鍋で煮てから後でカレーソースに投入させる。
それから、サラダ油ではなくバターで具材を炒めることでコクを出しているという。カレーのルウは市販のものを使用しているが、「バーモントカレー」(ハウス食品)と、「ゴールデンカレー」(ヱスビー食品)をブレンドさせ、複雑な味わいに仕上げている。
ルウの辛さは、食べさせる相手の年齢によって甘口や中辛に変えているという。そして最後に、隠し味として子どもが大好きなマヨネーズ、ケチャップ、中濃ソースを投入。ごはんにもこだわり、お米はミネラルウォーターで炊く。このレシピは、中澤さんがご家庭で作っていたものだそうだ。
中澤さん:幼稚園時代のママ友から教わったんだっけな? どこで身につけた作り方なのか記憶は定かではないんだけど、昔から家で作っていたカレー。普通のカレーなのに、なぜかあの子たち(犯罪や非行をした少年たち)は「うまい! うまい!」って言って食べてくれてね。カレー以外にもスパゲティとかいろいろ作ったんだけど、なぜかみんな私の顔を見れば「いつカレー作るの?」って。なんでだろうね?
▲ひと口大にカットされた豚バラ肉
中澤さんは謙遜するわけでなく、本当に不思議そうにしている。だけど、このカレーを食べた筆者ならわかる。ごろりと入った柔らかい豚バラ肉は何個でも食べたいし、隠し味で深みが出たカレーソースにはノスタルジックさを感じる。そう、家庭のぬくもりを連想させるカレーなのだ。それに今はレトルトカレーが普及し、ルウで作るカレーを食べる機会も減ってきたこともあって、より懐かしさがあった。もっとも、夜な夜な街へたむろしていた非行少年少女たちは、家庭でカレーを作ってもらう機会なんて少なかったのだろう……。
世話焼きな中澤さんの意外な経歴とは
「昔から人の面倒を見るのが好きだった」という中澤さんは、20代の頃は「古賀メロディー」で知られる大作曲家・古賀政男さんの事務所に勤め、歌手・小林幸子さんの初代マネージャーを務めていた。
まだ小林さんが9歳の時だ。新潟から上京してきた小林さんの面倒を見ていたというから、小林さんにとって中澤さんは東京のお母さん的役割だったのかもしれない。
▲デビュー間もない頃の小林幸子さん(右)と中澤さん(左)
それから55年以上の月日が経っているが、いまだに交流があるという。現に「Café LaLaLa」の開店お祝いに、小林さんから花が贈られていた。以前も中澤さんが世話した少年たちと一緒に食事をするなど、保護司の活動をバックアップしてくれたそうだ。
小林幸子さんだけでなく、他にも大物俳優や歌手たちと交流のあった中澤さんだったが、30歳で結婚した後は出産を機に専業主婦を務めてきた。娘さんが自立したあとは、児童館などで時々ボランティアをしていたという。そして1998年に、友人からの誘いで保護司になった。
▲お客さんの近況報告を聞く中澤さん
中澤さん:保護司は天職だと思ったけど、カフェの経営は自分に向いていないと思うことがあってね。というのも、お店でお客さんを待ってなくちゃいけないから。じっとしているのがどうも苦手で。だからこのお店でギャラリーを開いたり、手作りの作品を販売したり、イベントを開いたりなど、お客さんたちに使いこなしてもらいたい。悩みを抱えて辛い人も相談に来てもらえればと思っていますよ。
愛情こもった料理で人は満たされる
中澤さんの話で印象に残った言葉がある。それは「食はすごく大事」ということだ。
「愛情こもった料理でお腹いっぱいになれば、ささくれだった気持ちも穏やかになる」と中澤さんは語る。
犯罪や非行をした少年少女たちは常日頃からずっとお腹を空かしている。もし口にしていたとしてもインスタント食品など既製品ばかり。だから気持ちが満たされず、ちょっとしたことで感情的になってしまうという。それもあって、中澤さんは保護観察の面接時にカレーを作り続けてきた。彼彼女らの空腹と心を満たすためにだ。
中澤さんには、カレーにまつわるこんなエピソードがある。それは血の気が多く、仲間たちとバイクを乗りまわし、粗悪な振る舞いをしていた少年が「中澤さんのカレーが忘れられないから、ここを出たらカレー会を生涯手伝いますね!」と、少年院から手紙を送ってきてくれたことだ。
中澤さん:あの子たちだって最初から悪だったわけではないのよ。
やはり、食の力は偉大だ。そして、さすが「更生カレー」だ。
ちなみに、2018年のカレー会の実施はまだ決定していない(取材当時。この後7月下旬に開催されることが決まった)。
中澤さん:現実的に考えて体力問題もあるから、いつやると断言できないの。と言いつつ、そのうち周りが「今年はいつカレー会やるの?」って私のエンジンをかけてくるからね。
そう中澤さんは話す。体力の心配はしつつも、やはりエネルギッシュだ。カフェだけど、単に飲食をするお店というだけではとても言い尽くせない「Café LaLaLa」。カレーはいつ食べられるかわからないが、それでも中澤さんに会いに、コーヒー1杯でも飲みに行ってみてはどうだろうか。よい子も悪い子も、もちろん普通の子も受け入れてくれるお店なのだ。
お店情報
Café LaLaLa
住所:東京都江東区辰巳1-1-34-2F
電話番号:03-5534-6433
営業時間:10:00~18:00
定休日:日曜日
※記事初出時、表記に誤りがあったため修正しました。ご指摘いただきありがとうございました(2019/1/7)
書いた人:名久井梨香
フリーライター。東京都出身。新卒で大手広告会社に就職するも、会社員は向いていないと挫折。1年で退職し、その後フリーライターの道へ。趣味は、Jリーグとカレー。週1回、新宿ゴールデン街でバーテンダーもやっています。