お腹を満たしたい。料理やドリンクを楽しみたい。会話を楽しみたい。雰囲気やサービスを味わいたい。多くの人々はこのような理由で飲食店を訪れているのではないだろうか。
だが、ゲームを楽しむプールバーやダーツバーのように、観戦を楽しむスポーツバーのように、飲食プラスαでわいわいするのも良いものだ。
ここで取り上げたのは、将棋や囲碁が楽しめる飲食店。対局をしたり、好きな棋士や定跡の話ができるお店で、同じ趣味を持つファンが家庭や学校・職場以外で集まるサードプレイスとなっている。
その一方では、対局する場としては教室や道場といった真剣な場があり、今はスマホなどを使ったネット対局も盛んだ。そういった環境がある中、人々は「囲碁将棋に特化したお店」に何を求めて訪れているのだろうか。
東京・新橋の「樹林」と六本木の「将棋バーto be」を訪れて、店主やお客さんに話を伺ってきた。
将棋・囲碁が楽しめる新橋「樹林」
将棋・囲碁を始め多くのゲームが楽しめる新橋の「樹林」は2011年から営業開始して今年で8年目を迎えた。ビジネス街という立地もあり、企業の部活動の会合で使われたり、地方のプレイヤーが出張や旅行の際に立ち寄ったりすることもある。
本格的に料理を提供するため、2019年9月に同一エリア内で移転。ランチ時には手の込んだ料理を味わいに、プレイヤーではない人も足を運ぶ。
対局を目的に来店した人はプレイ料金として1,000円(価格はすべて税抜)、17時以降はチャージ500円がかかり、そのほかは飲食物の注文に応じて料金が発生するシステム。従ってランチやカフェで食事のみを目的に訪れた場合は料理の代金しか発生しない。
あえて「囲碁・将棋」と銘打たない
樹林の看板には「囲碁」「将棋」という文字がない。店主の中山佳祐さんはあえて入れていないと語る。
中山さん:「対局しに来るお店」ではなく「対局も出来るお店」にすることで、囲碁・将棋を知らない層の方がご来店しやすいお店にしたかったんです。対局が目的の店になってしまうと、対局しない層、つまり興味の無い方や囲碁・将棋に触れたことの無い方のご来店はあり得ません。触れたことが無い方が食事やお酒を楽しむ日常に何気なく囲碁・将棋が認知されるようなお店になっていれば、興味を持ったりプレーして頂けるようになったりする可能性が開けてきます。
店名に囲碁や将棋といった言葉を出さないのは、囲碁や将棋を知らないお客様に来店いただき知るきっかけにしてほしいから。逆転の発想だ。
その効果もあり、初心者や、対局はできないけれどプロの対局をテレビやネットで楽しむようなライト層が増えたという。
回転率を意識しないから手の込んだ料理が出せる
料理は手が込んだものを提供している。囲碁・将棋を知らない方が楽しめる飲食店であることこそ急所、メニューは全力投球だ。
中山さん:全て手作りで仕込んで準備していますよ。ベーコンは1週間かけて作っていますし、カレーはスパイスを引くところから作っています。グランドメニューもありますが、日替わりで作っているものも多く、そちらの注文がどんどん入ります。
筆者が取材に訪れた日も、メニューに出ていないスープカレーがひっきりなしに注文されていた。
写真は煮込みハンバーグ。グランドメニューにはないが、ランチでは1,000円で提供しているものだ。
ハンバーグは牛100%、手ごねで作る。とろりとしたソースは絶妙な甘辛さで牛肉の旨味を充分に引き出しており、確かにこの味、また食べたくなる。
モヒート(580円)はミントをすりつぶして作っている。口に含んだ際の爽やかな香りの広がりが鼻にまで抜け、優しくなれるカクテルだった。
その他のドリンクメニューを見ても、幅広いお客さんに対応できるのがよく分かる。
中山さん:回転率を意識しているわけではない分、手の込んだ料理が作れるんです。
確かに、プレイヤーでなくても食べに来店したくなる味だった。
高リピ率の秘密は「ニッチなのに気軽」!?
10代のころから飲食店を経験している中山さん。樹林ではリピート率が高く、プレー中の注文も少なくないと言う。
中山さん:気に入るとまた来てくれる、というお客さんが多いですし、お友達を誘って来てくれるんです。焼肉を食べに行こうという方はたくさんある焼き肉店から選ばれますが、将棋を指しに飲食店に行こうという方の選択肢は多くありません。そうしたこともリピート率の高さに繋がっているのではないでしょうか。
この日は常連同士の男女がペア碁(男女がペアになり、交互に打つ)を楽しんでいた。観戦しながら対局者と談笑している常連さんは囲碁六段。気軽に楽しめる場が良いと魅力を語っていた。
プレーに熱中する余り注文が少なくなるのではないかとも思ったが、食事しながらプレーしている人は少なくない。ドリンクもアルコール・ノンアルと揃っているし、つまむメニューも豊富。
対局を楽しむ人からは「席料」として1,000円を頂くシステムで、客単価がネックになることもない。「ジャンル的にはニッチなのに、意外に気軽」という両面性がリピ率の高さなのかもしれない。
お店情報
樹林
住所:東京都港区西新橋1-18-11 ル・グラシエルビル 16号館2階
電話番号:03-3580-1746
営業時間:火曜〜土曜11:30〜23:30、日曜11:30〜20:00
定休日:月曜
愛好者が非営利志向で開く「将棋バーto be」
六本木・芋洗坂を下りきった雑居ビルの3階にある「将棋バーto be」。ここは、会員制のバーを土曜日だけ借りる形で営業している、将棋ファンの集いの場だ。
▲マスターの佐藤翔一さん(左)とこの日のスタッフのみなさん
チャージは男性2,000円、女性1,000円。メニューは500円からのドリンクのみ(料金形態は変更の可能性あり)で、ナッツなどを除き、フード類は提供されていない。
二代目のマスターは大学院生の佐藤翔一さん。お店はもともと数名の社会人で運営されており、現在も10名程度の中からお店に出られるスタッフを中心に回している。
初代のマスターがバーの経営者と仲が良かったことから土曜日に使わせてもらえるということで、ほぼ非営利で運営している。将棋ブログを書いている友人同士が居酒屋で集まっているうちに、集まる場が欲しいねと盛り上がったのがきっかけだそうだ。
来店メリットは「仲間が増えること」
ホームページを持たず、Twitterのみで営業情報などを提供するto beへは、将棋を知らずに迷い込んでくるお客さんはいない。
その「棋力」も様々。完全プロ志向もいれば、指すのがとにかく好きな人、観戦専門までスタンスは各々異なるが、「将棋、あるいは将棋にまつわる何か」を求めてファンが集まってくる。
佐藤さん:将棋仲間が増えるのが大きなメリットです。将棋大会に出た時に知人がいるとアウェイ感がなくなるし、お店に来たのをきっかけに将棋を指すことを覚えてくださる方もいらっしゃいます。
将棋の楽しみ方を広げるファンも多いそうだ。
佐藤さん:将棋を指す人が六本木を訪れる理由作りになれればいいなと考えています。私自身、毎週将棋を指しているだけで楽しいですし、お客様が楽しんでくださるのを実感するだけでもやりがいを覚えます。本当に将棋を楽しむために営業している感じですね。
有段の実力を持つ佐藤さん。カウンター越しに楽しく将棋を指している姿が印象的だった。
楽しさが満ちあふれる店内
お店のスタンスが明確だからだろうか、悪酔いするまで飲むようなお客さんもいないそうだ。
佐藤さん:将棋を指すために来る方が多いので、前後不覚になることはそもそもありませんね。
佐藤さんは語るとおり、確かに店内は楽しさと熱気で満ちあふれていた。
常連は9:1で男性が多いそうだが、取材に来たこの日は大分在住の酒造に勤める女性が一人で来店。常連の女性客と楽しく将棋盤を挟んでいた。Twitterで存在を知って初めて立ち寄ったとのことだったが、リラックスして対局に臨んでいた。
面白かったのはギャラリーが対局中の女性にアドバイスしながら、わいわい話しながら進めていること。
一般的にはアマチュアでも対局中の助言は禁止だ。将棋盤や碁盤の脚のデザインは植物のクチナシ(口を出してはいけない)をかたどった……という通説があるくらいで、対局者以外が対局内容について語れる空気感にはなかなかならない。それだけこの場がオープンな空気ということだろうか。
筆者もこの日初めて来店したというお客さんと対局。おしゃべりが過ぎて集中力を欠いてしまい序盤・中盤と形勢が悪かったが、酔いが回っていない利点を活かして終盤に逆転勝ちした。
お店情報
将棋バー to be
住所:東京都港区六本木5-9-14 第7六本木ビレッジビル3階
電話番号:非公開
営業時間:土曜日18:30〜23:00※土曜日のみの営業となります
棋は対話なり
道場で真剣勝負を続けるとしんどくなる。ネット対局を続けると雑になる。教室では堅苦しい。ほどよく丁寧にリラックスして対局したくなる。そんな囲碁・将棋ファンは少なくない。
「棋は対話なり」という言葉がある。将棋や囲碁で使われる格言のようなもので、対局者は対局しながら対戦相手と対話をしている、という意味だ。
「ここまでは押させてもらいますよ」
「そこは我慢しますけれどここは主張させてもらいます」
「仕方ないなあ」
こんな言葉を、盤を挟みつつ無言で交わしているような気になるのだ。
筆者は将棋歴が約40年ある。不思議なことにネット対戦ではこの対話を感じづらく、ゲームとしての将棋を淡々と進めているイメージがある。ところが生身の人間と将棋盤を挟んで対局すると、この言葉通りの心持ちになるのだ。
飲食とともに対局を楽しむ。同じ趣味の人が集まり会話を楽しむ。仲間を作る。飲食店を中心にそうした場が作れることの喜びを再確認した。
書いた人:奥野大児
馴染んだ店で裏メニューを頂けるのが至高と思っている呑兵衛ライターでブロガー。店主と仲良くなるのが得意らしい。グルメ、旅、歴史、IT、スマホなどなど多ジャンルで書きます。
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