カレーライスといえば、日本人の誰もが好きな「国民食」の代表。そんなカレーのルーツが、かつての日本海軍にあった!? そんな説を聞いたことがないだろうか。確かに「海軍といえばカレー」と刷り込まれているので、真実味がありそうだ。
たとえば、肉じゃがのルーツは旧大日本帝国海軍(以下、海軍と省略)の「甘煮」という料理にあった。カレーも海軍にルーツがある可能性があっても不思議ではない。
ことの真相を探るべく、海軍料理研究者として知られる高森 直史(たかもり なおふみ)さんに話を聞いてみた。
海軍料理研究の第一人者・高森 直史さん
高森 直史さんは、日本の海軍料理研究において第一人者といえる存在だ。
長年にわたり自衛隊に所属し「食」に関わる仕事を中心に活躍。自衛隊退官後は、海軍料理研究者として著書もたくさん執筆している。
▲高森さんの著書の一部
そして、高森さんの一番有名な実績といえば、肉じゃがのルーツは海軍で出されていた「甘煮」という料理にあることを突きとめたことだろう。
そんな海軍料理の専門家、高森さんにカレーのルーツは海軍にあるのかどうかを聞いてみた。
明治末期には海軍でもカレーが作られたが……
──日本式のカレーは海軍がルーツという説がありますが、本当ですか?
高森さん(以降、敬称略):結論からハッキリと申しますと、海軍が日本式カレーのルーツという証拠は見つかっていません!
──いきなり衝撃的な展開です……。
高森:ただ、海軍の献立でカレーは出ていましたよ。表記は、カレーライス・カレイライス・ライスカレーなどがありました。いま、カレーライスは国民食と呼ばれて親しまれていますが、当時も兵隊さんの中で好きな人が多いメニューだったんです。ちなみに、陸軍の献立にもカレーはありました。
──そのころから、みんなカレーが好きだったんですね!
高森:海軍で、いつカレーが出されるようになったのかについて言うと、実は記録が残っていないので不明なんです。ただ、現在残っている一番古い記録は、明治41年(1908年)に海軍経理学校が発行した『海軍割烹術参考書』(写真下)。これにチキンライスといっしょにカレーライスの作り方が紹介されています。なので、少なくとも明治40年ごろには、海軍の調理人がカレーを知っていたのは確実ですね。
▲明治41年『海軍割烹術参考書』の写し(高森さん所蔵)
高森:ただし実際に献立として、どのくらいの頻度で兵隊さん達に出されていたのかはわかりませんが……。いっぽう、昭和7年(1932年)に海軍経理学校が発行した『海軍研究調理献立集』では、さまざまなバリエーションのカレーが紹介されていました。例をあげれば、アサリのカレーライス・伊勢エビのカレーライス・チキンカレー・サバのカレー煮・アジのカレー焼きなどがあったんです。
──すごいバリエーション! 現在出しても通用しそうです。
高森:当時の調理人達は、すごく熱心に研究していたんだと思いますね。ということは、昭和初期にはすでに海軍内ではカレーは定番料理になっていて、しかも評判の高いメニューになっていたといえるでしょう。じゃないと、ここまで研究しないと思います。
──なるほど。
高森:実は、これと同じ昭和初期、民間企業が販売するカレー粉が普及し始めており、家庭でもカレーを楽しめるようになっていた時期なんですよ。それまで高級洋食だったカレーが、大衆のあいだに浸透し始めました。大衆に広まったカレーを、海軍が献立として率先して取り入れたんじゃないでしょうか。ちなみに、食文化研究者の小菅桂子(こすげ けいこ)さんは、著書『カレーライスの誕生』(講談社)で、地方出身の兵隊さんが献立のカレーを気に入って、軍から地方の農村へしだいに広がっていったのではないかと推測されていました。
▲高森さんから提供してもらった、カレー粉の原料となるスパイスの写真
写真左上から時計回りに、カルダモン・ジンジャー・チリパウダー・白コショウ・クミンシード・ターメリック・コリアンダー・クミンの8種。ジンジャーとクミンシードを除く6種の場合もある。
日本式カレーの本当のルーツは明治初期
──ところで日本式カレーのルーツが海軍でないとなると、ルーツはどこになるんでしょう?
高森:明治初期にイギリスからカレーが伝わったという見方が有力です。明治5年に発行された『西洋料理指南』(著:敬学堂主人)という料理本に、カレーライスが紹介されています。これが現存する日本最古のカレーレシピになります。おなじ明治5年に、西洋料理指南に少し遅れて『西洋料理通』(著:仮名垣魯文)という料理本でもカレーライスが紹介されていますね。
──当時のカレーはどんな特徴があるのでしょうか?
高森:材料に小麦粉があるので、今と同じようにとろみがあるカレールーだったと思われます。カレールーのとろみは、イギリス式にはなかったようで、日本人独自のアイデアだといわれています。
──カレールーのとろみは日本オリジナル。意外でした。
高森:また、牛肉・豚肉・タマネギ・ジャガイモ・ニンジンなど、現在のカレーに定番の具材は出てきません。牛や豚は、まだあまり食べられていませんでしたし。タマネギ・ジャガイモ・ニンジンは、すでに日本に伝来していましたが、一般によく食べられるようになったのは、もう少し後。なお、タマネギが入っていない代わりに、ネギ(長ネギ)が具材として入っていました。今では、めずらしいですよね。さらにビックリするのは、材料には鶏肉・エビ・タイ・牡蠣などの豪華な具材にならんでアカガエルなんてのも入っているんですよ(笑)。必須の材料ではなかったんでしょうが……。
──アカガエルが具、と聞いてもなかなか想像しづらいですよね。では、現在に近い形のカレーになったのはいつごろでしょうか?
高森:現在でも定番の具材がカレーに入り出したのは、明治半ばですね。明治39年(1906年)発行の雑誌『家庭之友』にある「タングカレー」のレシピには、材料として牛肉・タマネギ・ジャガイモ・ニンジンなどがありますよ。
「週末はカレー」という海軍の習慣はなかった
──ところで、海軍では毎週末にカレーが食べられていた、と聞いたことがあります。
高森:「洋上に長くいると曜日感覚がわからなくなる。そのため、毎週同じ曜日に同じ献立を出すことで、曜日感覚を掴んだ。メニューは、好きな人が多く栄養バランスのいいカレーを毎週金曜日に出すようになった」という話ですよね。でも、この「海軍の週末はカレー」の話は事実ではありません。そのような習慣はありませんでした。そもそも、曜日感覚や日にちがわからなくなるなんて、航海のプロとして失格でしょう(笑)。
──いわれてみれば、たしかにそのとおりですね……。
高森:ちなみに、現在の海上自衛隊では、毎週金曜日の昼食にカレーを出しているんです。当然、これは海軍から受け継がれた習慣ではないですよ。海上自衛隊初期のころにもありませんでした。私も海上自衛隊の出身ですが、その習慣は知りません。海上自衛隊の「金曜カレー」の習慣ができたのは、昭和から平成に移るころ(1980年代後半)と思われます。
──古い伝統かと思いきや、「週末カレー」は意外と新しい習慣だったんですか。
高森:そうなんです。理由ですが、ちょうど昭和60年代に週休二日制を導入する企業が増えてきました。海上自衛隊でも週休二日になって、土日が休みになる部署が増えました。そのとき、はじめて週末=金曜日という概念が生まれたわけです。そこに、訓練などの日課を考慮して、一番都合のいいメニューだったカレーを金曜日の昼に出す艦艇部隊が増えていきました。カレーはつくるのが簡単なうえ、栄養バランスもよく、さらに好物の人も多いですから。やがて、毎週金曜日のカレーが定番化し、それが海上自衛隊全体に広まっていったと思われます。
──現代の自衛官もカレーは大好物なんですね。
高森:だから、頻繁に出されるんでしょうね。なお、さきほどカレーは簡単につくれるといいましたが、それは戦後の昭和30年代以降の話ですよ。それまでは、カレー粉からつくっていたから難しい料理だったんです。それを変えたのが、固形ルー。固形ルーが発売されたのとカレーの消費量が増えた時期は、同じ昭和30年代です。カレーが国民食になったのは、固形ルーでカレーづくりが簡単になったという背景があるのではないでしょうか。同じころ自衛隊でも固形ルーを取り入れています。
調理人によって特徴が変わる「海軍カレー」
──「海軍カレー」というものがありますが、戦前戦中の海軍が使用していたカレーのレシピが残っているのでしょうか?
高森:はい。先ほど申し上げた『海軍割烹術参考書』に載っている「カレイライス」が一番古いものです。といっても、正確にはレシピではありません。実は、海軍には料理の基礎部分を徹底的に叩き込んだら、あとは現場の厨房に立つ調理人の裁量に任せるという気質がありました。ですから、材料と手順のみを紹介していて、肉の部位や野菜の品種・分量・切り方などは書いてないんですよ。厳密にはレシピではない、となります。だから「海軍カレー」といっても決まった形・味はなかったというのが正しいんです。
▲『海軍割烹術参考書』の「カレイライス」のページ
『海軍割烹術参考書』「カレイライス」には、材料・手順が以下のように書かれてある(文章を現代風に改めて掲載)。
【材料】
- 牛肉または鶏肉
- ニンジン
- タマネギ
- バレイショ(ジャガイモ)
- 塩
- カレー粉
- 小麦粉
- 米
- ヘット(牛脂、ただし原文には出てこない)
【手順】
- 米を洗っておく
- 牛肉(鶏肉)・タマネギ・ニンジン・バレイショは賽(さい)の目のように四角く切る
- フライパンにヘット(牛脂)を敷く
- フライパンに小麦粉を入れて、キツネ色になるくらいに煎る
- カレー粉を入れてスープでとろみがつくように溶かす
- 切っておいた肉や野菜を少し加え、弱火で煮込み、塩で味を調える(バレイショは、ニンジン・タマネギが煮えてから入れる)
- スープを使って炊いた飯にかける
※提供するときには、漬物かチャツネを添える
──海軍の料理は意外と自由度が高かったんですね。
高森:そうですね。そして、研究熱心でした。民間のコックさんや板前さんとの交流も盛んでしたよ。そういった中で、新たな料理を取り入れたり、味の研鑽をしていったりしたんでしょうね。というのも、日本人は味にうるさかったようでして(笑)。兵隊さんらが「まずい」「もっとおいしいものを食べさせてくれ」とクレームが多かったとか……だから、調理人達もおいしいものを出せるように、料理を研究していたんです。あと、兵隊さんらの栄養面も考える必要があります。しかも船上だと、船内にある限られた材料で食事をつくらなければいけません。だから、料理の研究が盛んだったと思われます。
なお、実はカレーの分量なども書かれた、レシピに近い海軍料理の資料も残っている。
昭和17年(1942年)に海軍経理学校が発行した『海事主計兵調理教科書』だ。これに「カレーライス」の記載がある。
内容は、以下のとおり。
【材料】(1人前)
- 鶏肉 100g
- バレイショ(ジャガイモ) 100g
- ニンジン 50g
- タマネギ 50g
- 麦粉(小麦粉) 20g
- ヘット(牛脂) 10g
- カレー粉 1~2g
- スープ 適量
- 塩・コショウ 少量
- 米麦飯
【手順】
- 鶏肉は小口切り、バレイショ・ニンジン・タマネギはいずれも賽の目切りにする
- 蒸し鍋にヘットを溶かす
- カレー粉と麦粉を加えて、焦げつかないようによく煎る
- スープを少しずつ加えて、薄いトロロぐらにのばす
- 鶏肉・バレイショ・ニンジン・タマネギを入れ、塩コショウで味を調えて、10分煮込む
- 飯を皿に盛り、カレーをかける
実際に「海軍カレー」を食べてみた
そんな海軍カレーだが、現代に復刻して地域おこしをしているところもある。
かつて軍港のあった、横須賀(神奈川県)・大湊(青森県)・舞鶴(京都府)・佐世保(長崎県)・呉(広島県)などである。
さきほど紹介したとおり、海軍のカレーに決まった形はないので、各地域や各店でカレーの特色は異なっている。
今回は、かつて呉鎮守府が置かれ、戦艦「大和」などで知られる広島県呉市へ行き、海軍カレーを食べてみた。呉で海軍カレーが食べられるお店は、いくつかある。
今回うかがったのは「田舎洋食 いせ屋」(写真下)。
大正10年(1921年)創業の老舗で、創業者である初代と2代目は、海軍のコックさんだったという。
いせ屋は、海軍の「甘煮」を再現した「海軍さんの肉じゃが (450円、以下いずれも税別)」や、デミグラスソースで牛カツを使った「カツ丼 (1,200円)」などが話題のお店だ。
▲これがいせ屋の「カレー (750円)」
『海軍割烹術参考書』の「カレイライス」には漬物かチャツネを添えるとあったが、いせ屋では漬物(たくあん・キュウリ)が添えられている。これが、実に気が利いていておいしい。
なお、いせ屋は漬物の持ち帰り販売もしているとのこと。
▲ルーは、甘さ・塩味・酸味がちょうどいいバランスで、なつかしい味わいだ
▲タマネギは煮込まれて柔らかく甘い
それでいて、ほどよくシャキシャキ感も残る。
お店の話では、ルーを煮込むときにタマネギなどの野菜はルーに溶け込んでいるが、食べたときに野菜の食感も楽しめるように、あとでタマネギなどを追加で入れているという。手間暇がかかっている。
▲肉もしっかりとうまみがあり、脂身の甘さもいい感じ
お店情報
田舎洋食 いせ屋
住所:広島県呉市中通4丁目12-16
電話番号:0823-21-3817
営業時間:11:00~15:00、17:00~20:00
定休日:木曜日(祝日の場合は翌日)
駐車場:なし
「海自カレー」と「海軍カレー」はどう違う?
ところで、呉では海軍カレーとは別に「海自カレー」というのがある。一見すると名前がよく似ているので、混同してしまいそうだ。
そこで、事情に精通する呉飲食組合の組合長、井口 秀一(いぐち しゅういち、写真下)さんに、話を聞いてみた。
──「海自カレー」と「海軍カレー」の違いを教えてください。
井口さん(以降、敬称略):名前のとおり「海軍カレー」は、かつての海軍で食べられていたカレー、「海自カレー」は海上自衛隊で食べられているカレーです。ただ、海軍カレーは調理人の裁量に任せる面が強かったので、決まった形式がありません。ですから、海軍カレーの定義は難しいですね。いま、呉では海自カレーで地域おこしをしています。
──呉の海自カレーの取り組みについて教えてください。
井口:きっかけは、市役所の商工観光課の人が海上自衛隊でカレーを食べる機会があって、海上自衛隊のカレーについて話を聞いたこと。実は、艦艇それぞれの調理人が工夫を凝らし、艦艇ごとに違った味や特徴のカレーがあるんですよ。
──艦艇ごとに味が違うんですか!
井口:はい。その後「呉市内でも海上自衛隊のいろいろなカレーが食べられたらうれしい」という話になり、平成27年(2015年)に「海自カレー」の企画が実現しました。
──海自カレーの具体的な内容はどんなものでしょう?
井口:海上自衛隊 呉基地の調理担当者から、参加店が直接カレーのつくり方を教えてもらい、そのカレーの味をお店で忠実に再現します。そして、お店にメニューとして出す前に、艦長から「うちの艦艇のカレーの味で間違いない」という認定してもらうんです。各艦艇お墨付きのカレーですよ。令和元年(2019年)現在、30店が参加していて、シールラリーも開催しています。ラリーのプレゼントも毎年変わります。県外から食べに来られるかたも多く、たいへん好評です。一週間で全部のスタンプを集める強者までいますから(笑)。
▲これが海自カレーのシールラリー台紙兼ガイドブック。海自カレー参加店舗や大和ミュージアム、市内の観光案内所などで入手できる
海軍の歴史が刻まれた「五月荘」
ここで、同じ呉市内で紹介しておきたい一軒のお店がある。明治34年創業、海軍御用達の料亭としても知られる「五月荘(さつきそう)」だ。
▲五月荘では、戦艦大和沈没の日の夕食に出される予定だったというクジラ料理とぜんざいが食べられる(価格や内容は要問い合わせ、要予約)
かつて海軍にもよく利用されたという五月荘。店内には貴重な資料が多数展示されている。
▲日露海戦海図
▲大日本帝国軍艦写真総覧
▲軍艦絵はがき
▲海軍大将を務めた嶋田繁太郎からの手紙
海軍の食の歴史を知るには欠かせない存在なので、機会あればぜひ訪れてみたいところだ。
お店情報
海軍さんの料亭 五月荘
住所:広島県呉市本通2-4-10
電話番号:050-5282-7626
営業時間:11:30~14:30 (L.O.14:00)、17:00~22:00 (L.O.21:30)
定休日:火曜日
「海自カレー」を食べてみる
呉の海自カレー提供店で、実際に「海自カレー」を食べてみた。
▲今回は、大和ミュージアムのすぐ近くにある「呉ハイカラ食堂」で海自カレーを食べた
▲数量限定の「海自テッパンカレー(税込1,450円)」
海自カレーに、肉じゃがやクジラカツなどをセットにしたもの。
カレーは、「潜水艦カレー」と「そうりゅうカレー」から選べる。
▲今回は「そうりゅうカレー」を食べてみた
▲フルーティーでコクがありながらも、辛口なルー
なお、潜水艦カレーは甘さと辛さが同時に楽しめるカレーとのこと。
お店情報
呉ハイカラ食堂
住所:広島県呉市宝町4-21 折本マリンビル3号館 2階 ※駐車場アリ(有料)
電話番号:0823-32-3108
営業時間:11:00〜15:00
定休日:火曜日(祝日の場合は翌日)
海軍料理の精神はきっと海上自衛隊に受け継がれている
海軍に日本式カレーのルーツはなかった。
しかし、カレーの工夫や応用などの研究で、日本におけるカレー文化の発展・普及に大いに貢献してきたといえる。
そして、その精神は現在の海上自衛隊にも受け継がれている。
「海軍カレー」と「海自カレー」は別のものであるが、カレー研究の精神は生かされているのではないかと思う。艦艇ごとに特徴的なカレーがあるのは、まさに海軍調理人の研究熱心な精神に通じるものがあるではないか。
広島・呉を訪れたら、海軍カレーと海自カレーを食べ比べ、日本のカレー史に思いを馳せてみてはいかがだろう。
なお、カレーと海軍の関係について詳しく知りたいときは、高森直史さんの著書『海軍カレー伝説』(潮書房光人新社)を読んでみてほしい。